本堂には聖徳太子の絵像が安置されているのをご存知でしょうか。浄土真宗本願寺派においては阿弥陀仏、親鸞聖人、蓮如上人、七高層、聖徳太子がそれぞれ絵像、木像、銅像等で安置されています。聖徳太子(574~622)について、なぜ安置されているかというと日本に仏教を取り入れ、その興隆に尽力された方だからです。聖徳太子はその当時日本に渡来していた高句麗の僧侶である慧慈という方から仏教を学び、その教えに深く感動されたと言われております。世界最古の木造建築として有名な法隆寺、たび重なる災害の度に復興をしてきた四天王寺など多くの寺院を建立し、また「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の義疏を制作したとも伝えられ、まさに日本仏教の父とも呼べる方です。親鸞聖人はそのような太子を観世音菩薩(阿弥陀仏の慈悲の徳をあらわす菩薩)の化身と崇め、いくつもの和讃をお作りになられています。その一つを紹介させて頂きます。
救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して
多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ (註釈版 P.615)
親鸞聖人におかれましては9歳の時に出家され僧侶となり、比叡山にて29歳まで自力聖道の道を歩まれました。しかし、結果としてお悟りを開くことはかないませんでした。聖人は自身の救われる道を求め、太子の創建といわれる京都の六角堂に参籠をされます。そして、参籠から95日目のあかつきに夢告を得て、生涯の師である法然上人の元へ赴き、念仏の教えに帰依されていきます。聖人が20年間の修行の末、比叡の山を下りられたそのお心はいかほどであったか想像もつきません。そして、そのような中で聖徳太子の示現に救いの道を求められたことは「多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ」父のように決して捨てることがなく、母のようにいつもご一緒して下さるはたらきを求める以外に無かったのではないかと味わうことです。
浄土真宗本願寺派のお寺に聖徳太子の絵像が安置してある理由は、このような親鸞聖人のお心を頂いているからです。