「照らされた夜」

ある夜、2歳の子どもと外に出てみると星空でした。

しばらく雨が降り続いていたので、

久しぶりの星空でした。

子どもは

「星がいっぱいだー」と言って、

庭を走り回りました。

「家に入ろうか」と声をかけても、

「まだ、入らない」と、

しばらく走り回り続けておりました。

翌日は、曇り空で星が見えませんでした。

「星が見えなくて残念だね」と、声をかけると、

「空がいっぱいだー」と、言って

庭を走り出しました。

その一言を聞いて、

「そういう受け止め方もあるのだな」と、感じるとともに

自分自身の感じ方が少し残念というか

寂しいように感じました。

星が見えなくて残念と思った私。

星が見えなくても、

「空がいっぱい」と走る子ども。

同じ夜空を見る中で、

受け止め方の違いの中で、

私にとっては子どもの受け止め方が、

とても大きく感じられ、

素晴らしいと感じました。

無邪気な子どもの一言に、

心が照らされた気がしました。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。