浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、阿弥陀(あみだ)さまとお釈迦さまの関係を「応現」とおっしゃいます。応現とは、応じて現れるということで、ここでは阿弥陀さまが自分の姿をみることができないものに応じて、お釈迦さまとして姿を現したことをいいます。
その背景には、阿弥陀さまの、自分の姿をその目に見ることができないものにも自分の存在を知らせて救いたいのだという願いがありました。
浄土真宗のお寺のお内陣は、中央に阿弥陀さまの仏像がご安置されていますが、お釈迦さまの姿がどこにも見当たりません。これは阿弥陀さまとお釈迦さまを別と捉えるのではなく、阿弥陀さまの仏像にお釈迦さまの姿を見てゆくということだと私はいただいています。
阿弥陀さまがお釈迦さまと応現して、この世に現れてくださり、「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」というお経を残してくださいました。そのお経を通して、私はこの目に阿弥陀さまを見ることはできずとも、私のすべてを引き受け、虚しい命にはしないと包み込んでくださっている阿弥陀さまのぬくもりに出会わせていただいています。