「更生」
という言葉は
「生き返ること、新しくかわること」
という意味でよく使われる日常語です。
例えば、倒産企業の会社更生法の申請、悪からの更生、更生保護、更生施設、更生医療など。
しかし、この言葉は宗教的に重要な意味を持つ仏教用語で、
「きょうしょう」
と読みます。
『涅槃経』
という大乗経典で、身体の衰弱でまさに死にかけている帝釈天という神がお釈迦さまの説法によって生き返ったとき、次のような感謝の気持ちを告白しています。
世尊(お釈迦さまの敬称)よ、私は今、即死即生しました。
命を失い命を得たのです(中略)。
このことがまさに“更生”です。
あらためて命を得たということです。
『涅槃経』
このように仏教においても、過去を捨てて、まったく新しく生まれ変わることを意味しています。
このことは、次のような原始仏典の物語にも見ることができます。
お釈迦さまの時代、アングリマーラという仏弟子がいました。
彼はもと残忍な凶賊でした。お釈迦さまの教化で弟子になりました。
ある時、アングリマーラが托鉢をしていると、難産の婦人をみかけました。
当時、お坊さんに真実の言葉を唱えてもらうと安産いるという俗信があり、彼は真実語で婦人を助けようとしました。
しかし、何百人もの殺人をした身には、自分の過去についての真実の告白はどうしてもできません。
彼はお釈迦さまの所に帰り、教えを求めました。
戻ってきて、お釈迦さまに教えられた
『私が仏弟子となって以後、決して他を害したことはありません』
という真実語を唱えたところ、婦人は安産した。
(『中部経典』)
アングリマーラは出家をしたものの、過去の罪の意識に苛まれて、なかなか覚りを得ることができませんでした。
しかし、このお釈迦さまの教えによって、暗い過去のしがらみを越えて、仏弟子としてすっかり生まれ変わって、これからの精進こそ大切であると学び、最高の仏弟子の境地に達したと伝えられています。
一般に更生というのは、周りから手助けされるもの、与えられるものと受け取られがちです。
けれども、仏教は私たち自身が強い意志を持って新しく生まれ変わり、変革していこうとする主体的な意味があることを教えてくれています。