お彼岸も終わり、いよいよ4月を迎えることとなりました。
これからいよいよ春本番です。
学校では、3月は卒業の季節。
4月は入学の季節です。
卒業生はそれぞれの別れを終えて、新しい環境の中で、新たな人生の節目のスタートを切る、そういう季節が4月だといえます。
私の地元は、小学校から中学校まではほとんどが地元の幼馴染と同じ少・中学校に進み、高校からそれぞれの希望する進路へと進んでいきます。
ですから、中学校を卒業する間近には「これからもう友達とも会えなくなるな…」と寂しく感じたことを思い出します。
私は最近、親戚との別れがありました。
高齢で、闘病中ということもあり、ある程度覚悟はしていました。
ただ、それなりの覚悟はしていながらも、やはり小さい時から可愛がってもらっていた身近な人との別れはとても辛く悲しいことでした。
「いつか必ず別れなくてはならない、という事実の上に今出会っている」これは、何度も聞かされてきた言葉であり、頭の中では分っていたはずのことでしたが、この度の身近な人との別れに際して、安易には受け入れがたい事実であると共に、即座に頷けないでいる自分に気付かされたことでした。
最近、誕生した子どもを連れて妻の実家へ遊びに行ってきました。
妻の両親はとても喜び、子どもを交代で抱っこしてくれました。
また、子どもが泣くとすぐに抱き上げてあやしたりするとなど、とてもよく面倒を見てくれました。
妻の実家から帰るその日、孫を抱くお父さんの目にきらりと光るものが見えました。
私はその涙を「この子に出遇えた」という喜びと、「この子ともいつか必ず別れていかなければならない」という別れの自覚が、重なり合って誘ったものとして受け止めました。
普段身近にいる人に対して、いつの日か迎えるであろう別れの自覚を持つことが出来た時に、私たちは今まで以上にその人に対して優しく接することができる私になれるような気がします。