『渇いた大地に雨 渇いた心に法雨』

最近、テレビや新聞等では、子どもが親を殺したり、親が生後間もない赤ちゃんを捨てたりと、これまでなら想像もできなかったような痛ましい出来事が報じられています。

このような事件が起きる度に、とても寂しい思いがします。

確かに、私たちの生活は豊かになって来ていると言えますが、それに見合うような心の豊かさをも持ち得ているでしょうか。

そのような意味で、まさに今は心の有り様が問われているように思われます。

経典の伝えるところによれば、お釈迦様が托鉢を行っておられた時にひとりの男がお釈迦様に向かってこう問いかけたそうです。

「修行者よ、私は田を耕し、種をまいている。あなたも自分で耕し、食を得てはどうか」と。

それに対して、お釈迦様は「私も田を耕し、種をまいている」と答えられました。

すると、それを聞いた男はまたお釈迦様に尋ねました。

「私たちの中には、誰もあなたが田を耕したり、種をまいたりしている姿を見たものはいません。

あなたの鋤はどこにありますか。

また、どんな種をまくのですか。」と。

お釈迦様は「私は私の心の田を耕している」と答えられたそうです。

私達は、物質的・経済的には豊かになりましたが、その反面、「見えるもの」にだけ関心を寄せた結果、いつの間にか心が荒廃してしまったのではないでしょうか。

それは心の田を耕すこと、具体的には「人間として生きること」の基本とも言える「ご恩」とか「お蔭様」とか、目には見えない世界に心を寄せることに無関心になってしまっているということです。

それは、周囲の人々や自然の恩恵によって生かされていることに気づかないままに、全てを「当たり前」と思って生きていることに他なりません。

「心の田は、放っておくと荒れてしまう」ということに気付くことが大切です。

心が渇ききってしまう前に、仏法を聞いて心を潤し、人として豊かな心になるよう耕したいものです。