『お盆 縁に導かれ手を合わす』

連日寝苦しい日々が続いています。

こうも暑いと早く冬がくればいいのにとついつい思います。

しかし冬がきたらきたで、こんなに寒いのなら早く夏がきてほしいと思うことでしょう。

暑くても・寒くても愚痴の減らない自分だなあと味わう今日この頃です。

お盆には、多くの方々が渋滞の高速道路を古里へ帰って行かれる様子がテレビ等で放送されます。

お墓参りをしたり、家族団欒や旧友との時間を楽しんだり…と、それぞれに日頃の忙しさから離れて心と体を安心して寛げる場所が古里であり、またお盆のひと時でしょう。

庄松というお念仏を喜ばれた方は「わしは死んでも、墓石の下にはおらんぞ」と言われたそうです。

お墓参りをする姿は敬虔であり、亡き人を偲ぶという意味でも大切なことです。

しかし同時にこの方の言葉も大切に頂いていかなければならないと思います。

「私は仏さまのおはたらきによって浄土へと生まれ往くのです。

皆様も自分の生まれ往く所をしっかりと聞いてくれよ」と庄松さんが仰っているように感じられます。

お盆をお墓参りだけで終わらせず、自らの命の行方を仏法に聞いていく時間とさせて頂きたいものです。