「知足者富」
とは、
「足るを知る者は富む」
という老子の言葉です。
また、英語にも
「A contented mind is aperpetual feast.」
満足は永遠のごちそうである、ということわざがあります。
「本当の豊かさをとは、足ることを知ること」
とは、つまり世界共通の思いなのです。
私たちは、豊かさを経済力で計りがちです。
例えば、20万円の月収を得ている人は、50万円の月収を得ている人の方が、豊かに違いないと思います。
一方では、それは正しいことかもしれません。
しかし、50万円の月収を得ている人が
「100万円の月収を得ている人の方が豊かに違いない。」
と思っていればどうでしょうか。
得られる月収の金額に違いはありますが、さらに高給をもらう者をうらやむ気持ちで苦しんでいる姿には変わりありません。
20万円の給与だろうと、50万円もらおうと本質的な豊かさには結びついていないのです。
私の友人に、変わった者がおります。
その友人は、大企業で勤務しており、私からみれば高給取りであり、福利厚生もしっかりしており会社の将来にも不安のない、うらやましい限りの生活をしておりました。
しかし、その友人は、昨年、その会社を辞めてしまいました。
今は、沖縄の田舎で、夫婦で小さな雑貨屋さんをしております。
まだ、お店も軌道に乗るにはほど遠く、サラリーマン時代の貯金を切り崩しながらの生活だそうです。
私からすると、なんともったいない、と思うのですが、その友人夫婦は、そんなことは意にも介せず楽しく過ごしているようです。
友人曰く、以前は、朝の満員電車通勤から始まり、上司との軋轢、顧客とのトラブルなど多くのストレスを抱えながらの生活で、不満不平の毎日だったそうです。
また、自由な時間も少なく、お金も高級マンションの家賃と外食ぐらいしか使いようもなかったと愚痴っておりました。
それに比べ、現在は、まだお客も少なく、夫婦で話をする時間も増え楽しく過ごせている、これが幸せというものかな、と語っておりました。
有り余るお金や物による豊かさも、確かにうらやましく思うものです。
しかし、一方で、使い切れないものを追い求めていても切りがないことも確かです。
私たちは、生きていく故で必要なものとは限られています。
例え、多くの部屋のある家に住んでいても、すべてを使って生活することはありません。
やはり、本当の豊かさとは足をしることなのでしょうね。
あなたは、今、豊かですか。