やがて、玄関のほうで、
「箭四っ、箭四っ」
と呼ぶ声がした。
箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。
「はいっ」
駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂を改めて立っていた。
「馬をっ――。
急いで」
「はっ」
箭四郎は、厩から馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠もっている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にも憚りはないのかと、ひとりで危惧していた。
「いそげよ」
門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。
あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、
「お館様」
「なんじゃ」
「世間へ仮病が知れても大事ございませんか。
裏道を通りましょうか」
「それには及ばん」
「して、お行く先は」
「仙洞――」
さては参内であったのかと彼は初めて気がついた。
仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。
六条からそう遠くはない。
しかし本道の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園があり、その向い側には入道相国の六波羅の北門ずあって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。
わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇(びう)にもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回して、三条の磧(かわら)から仮橋を越えて、十禅師の坂へかかった。
「箭四」
「はい」
「きょうは、たしか二日じゃの」
「六月二日でございます」
「…………」
範綱は、時刻を考えるように、陽を仰いだ。
陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている」
「駈けるぞ」
一鞭あてると、箭四郎は坂道にとり残された。
やっと、追いついてみると、もう仙洞御所の東門に、主人の姿はそこにはなかった。
範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。
そして、
「あっ……」
と、立ち(たち)竦(すく)んでいる。
北の中門の外に、お微行(しのび)の鳳輦(くるま)が横づけになっているではないか。
法皇葉、ひそかにお出御(でまし)になろうとしている。
いずこへ?それは範綱には分かっていた。
六月二日の参会というのことは、いつか多田蔵人の口から聞いていたのである。
それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行(しのび)をなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。
けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。
やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。
範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺っていた。