小説 親鸞・紅玉篇 2月(8)

藍草の汁をしぼったように、水っぽい夕闇が四囲(あたり)をこめてきた。

燭の影が、深殿の奥から揺れてきた。

法皇のお姿らしい影が、側近の人々の黒い影にかこまれて、お沓(くつ)へ御足をかけている。

「しばらくっ――」

そんな大きな声を出すつもりはなかったが、範綱は思わず大声でさけびながら、驚く人々を割って、法皇のまえに、平伏した。

「誰ぞ」

法皇は、いちど、お沓へかけられた足を引いて、廻廊の上へ、立たれた。

「六条の朝臣らしゅうございます」

側近がささやくと、

「範綱か」

「はっ」

「病気と聞いていたが……」

「仮病でござりました。

上(かみ)を、偽りました罪、いくえにも、お罰し下さりませ」

範綱は、そういって、さらに、語気をあらためて諫奏した。

「きょうは、六月二日とあれば、さだめし、鹿ヶ谷の俊寛僧都の庵に衆会のお催しあることと存じまするが、院の御深くに在(お)わしてすら、道聴途説、とかく、世上のうるさい折から、さような集まりの席へ、しかも夜中(やちゅう)のお出ましはいかがなものかと存ぜられまする。

――それについて、折り入っておん耳に入れたいこともござりますゆえ、しばらく、お見あわせ遊ばして、お人ばらいの儀願わしゅう存じまする」

法皇は、黙っておられた。

先に、範綱へ仰せられた言質もあるので、やや気まわり悪く思われたようなお顔いろでもあった。

新大納言に同心の側近の者や、侍所の人々は、一文官の、しかも歌よみの範綱が、何を、かような大事に、嘴(くちばし)をだすかと、憎むように、睨(ね)めつけていた。

法皇は、板ばさみになったお顔つきで、ちょっと、当惑していられたが、範綱が沓のまえに死を賭して坐りこんでいる姿をみると、むげに、退けられなかった。

「しばしの間、遠慮せい」

側近は、お声の下に、無言の頭(かしら)を下げて、去るよりほかなかった。

範綱は、その人々が去るのを待ってかせら、すでに、新大納言の謀叛の下ごころがあることを、平家方では、察知しているということを、今日の庄司七郎の言葉を例証して、つぶさに、内奏した。

法皇は、さすがに、顔いろを変えられた。

御自身が、謀主になっても亡ぼしたいほど憎悪する平家ではあるが、それほどにまた、怖ろしい平家でもあるのだった。

わけて、法皇は清盛入道が感情的に激発したらどんなことでもやりかねない男であるということを、幾つもの実例で骨身にこたえて御承知なのであった。

「やめよう」

すぐ、こういわれた。

たちまち、鹿ヶ谷への行幸(みゆき)は、沙汰やめとなった。

武者所の人々は、

「いらざる諫言だてをする歌よみめ」

と、範綱を憎み、

「このままでは、味方の気勢にかかわるといって、調えた御輦(みくるま)を、空のまますすめて、松明(たいまつ)をともし、暗い道を鹿ヶ谷の集まりへと急いで行った。

だが、その列の中にいた多田蔵人だけは、途中から闇にまぎれてただ一人どこかへ姿を消してしまった。

※「道聴途説」=道で聞いたことを、すぐ道で話すの意で、人の善言を心にとめないこと。聞きかじりのあさはかなおしゃべり。受け売り。