小説 親鸞・紅玉篇 2月(9)

法皇の行幸はなかったが、すでに、暮れる前から、鹿ヶ谷の俊寛の山荘には、新大納言以下、不平組の文官や武官が、各々、微行(しのび)のすがたで集まっていた。

「六条の範綱めが、いらざるさしで口を――」

と、人々は、空御輦(からみくるま)をながめて口々に怒ったが、

「なに、法皇のお心変わりは、時雨のようなもの、降ると思えば照る、照ると思えば降る――。

明日にてもまた、麿が参内して御心を励ませば、必ず次の集まりには、御参会あるにちがいない」

大納言成親は、自信をもって、席の人々へいった。

浄憲法師も、相槌を打って、

「よう喩(たと)えられた。

まことに、法皇の御気色(みけしき)は、照り降り雨、われらが側近にあれば、また変る。

お案じあるな」

席には、近江入道蓮浄、山城守基兼、平判官康頼、その他の人々がいた。

主の俊寛は、折角すすみかけた平氏顛覆(てんぷく)の相談が、法皇のおすがたの見えないために、やや出鼻の白けたような様子を見て、

「軍(いくさ)立(だて)てのことは、次の会に改めて謀るといたして、今宵は、盟約の酒もりとしよう。

ご異議ないか」

「よかろう」

新大納言は、虚勢を張って、

「祝おうではないか」

と、音頭をとった。

やがて、酒杯(さかずき)がまわされると、

「亭主殿――、ご馳走をなされ」

と、俊寛へ向って、浄憲法師がよびかけた。

「馳走とは?」

「猿楽なと」

「心得申した」

俊寛は立って、おどけた手振りをしながら舞った。

笙(しょう)鼓(こ)を鳴らして、人々は歌う。

住吉四所(すみよししこ)のおん前には

顔よき女体ぞおわします

男は誰ぞとたずぬれば

松ケ崎なるすき男

「ようできた、ようなされた。

――次には、新大納言の君こそ、遊ばされい」

「そのこと、そのこと」

手を引き出されて、

「さらば、舞い申す」

と大納言は床を一つふんで、

「やんや、やんや」

流行るもの――

肩当、腰当、烏帽子(えぼし)とどめ

襟の立つ、片さび烏帽子

布打の下の袴(はかま)

四幅(よの)の指貫(さしぬき)

武者(むさ)の好むもの

紺よ、紅

山吹、濃い蘇芳(すおう)

茜、寄生樹(ほや)の摺(すり)

よき弓、やなぐい、馬(く)鞍(ら)太刀(たち)

遊女(あそびめ)の好むもの

雑芸、つづみ、小端(こはし)舟(ぶね)

大笠かざして

艫(とも)取り女(め)

「あっ!」

 酒の瓶子(へいし)を踏んで大納言がよろめくと、人々は、歌の調子をそのままつづけて、

 「たおれた!たおれた!」

 「瓶子がわれた」

 「瓶子がたおれた」

 「わはははは」

 「はははは」

 そして、めでたいと、はしゃいでいい合った。