「経典」は八万四千もあると言われますが、その中に「永代経」という名前のお経はありません。
別段、永代経と言う名前のお経があるわけではなく、実は「永代読経(えいたいどきょう)」を略して永代経と呼んでいるのです。
「永代」というのは、「末永くいついつまでも」ということで、「読経」とは、お経を読むことです。
ですから「永代経」とは、こうして仏法のご縁に遇わせていただいた聞法の道場としてのお寺がいつまでも維持され、そこで末永くお経が読まれ、み教えが聴聞(ちょうもん)できて、仏法が子々孫々に伝わるように、という願いがこめられており、そのような思いで大切に勤められるのが、各お寺での永代経法要なのです。
ところで、世間で言われる永代経には永代供養という意味があるようです。
それは、先祖代々を永代に渡って供養していこう、また、供養してもらおうということから、そのためにお寺でお経をあげてもらうのが永代経だと言われています。
「供養」というのは、供え養うということです。
ということは、何かを供えて、誰かを養うということになります。
その何かというのが、お経ということになるのでしょう。
そして、誰かというと、先祖ということになるようです。
けれども、お経とはお釈迦さまがお説きくださったものであり、誰に対して説かれたのか言うと、お釈迦さまのお弟子方です。
つまり亡くなられた方ではなく、様々な苦悩を抱えていまを生きている人に向かって説かれているのです。
そうするとこの私も入ります。
お経をお供えし、先祖を養うのではなく、私がそのお経により養われ育てられているのです。
末永くお経が読まれ、み教えを子孫代々に伝えていくためには、まず今わたくし達一人一人がこのご縁に遇い、み教えを聞き慶ぶことが大切なことであるでしょう。