小説・親鸞 手長猿 2014年8月19日

「まだある!」

押かぶせるように四郎は右の肩を上げていった。

「おれは天下の大盗だ。盗賊の慾には限りというものがない。汝(うぬ)の生涯につきまとうて、汝(うぬ)を囮(おとり)に財宝を集めさせてはせびりに来る。今夜は初手の手(て)付(つけ)というものだ」

「生涯、この範宴から財をしぼりとるというか」

「おれは、貴様の弱点を握っているからな。――いやともいえまい」

「さように財物を集めておもとはいったい何を築きたいのか」

「死ねば、おさらばを告げるこの世に、物を築いて置く気などはさらさらない。みな、飲む、買う、耽(ふ)ける、あらゆる享楽にして、この一身を歓(よろこ)ばせるのだ」

「歓ばせて、どうなるか」

「満足する」

「それは、肉体がそう感じるだけのもので、心は、その幾倍もの苦しみや、空虚を抱きはせぬか。人間は、霊と肉体とのふたつの具現じゃ。肉のみに生きている身ではない」

「小理窟は嫌いだ、理窟をいってるやつに一人でも幸福そうに生きている者はない。とにかく俺はその日その日が面白くあればいい、したいことをやって行く」

「あわれな男のう」

「誰が」

「お汝(こと)じゃ」

「わはッはははは」

四郎は高い天井の闇へ洞(どう)然(ぜん)と一笑をあげて、

「こいつが、てめえ自身の不(ふ)倖(しあわ)せも知らずに、俺を不(ふ)愍(びん)だといやがる」

かた腹が痛そうにしていったが、ふと、範宴の一語が頭の隅で気になるらしく、

「おれのどこが、あわれなのか、あわれらしいのか、いってみろ」

「おもとのような善人が、会うべき御(み)法(のり)の光にも浴さず、闇から闇を拾うて生きていることの、何ぼう不愍にも思われるのじゃ」

「やいっ、待て」

四郎は大床を一つ踏み鳴らして、

「おれを善人だと」

「されば、そういった」

「すこし気をつけてものを吐(ぬ)かせ」

この天城四郎を善人だといった奴は、天下に汝(うぬ)をもって嚆(こう)矢(し)とする。

第一、俺にとって大なる侮辱だ。

おれは悪人だ、大盗だ」威(い)丈(たけ)だかに彼がいうのを冷(れい)寂(じゃく)そのもののような容姿(かたち)でながめ上げながら、範宴は、片頬にうすい笑(え)くぼをたたえた。

「おもとは弱い人間じゃ。偽悪の仮面(めん)をつけておらねば、この世に生きていられないほどな――」

「偽悪だと。ふざけたことをいえ、俺の悪は本心本性のものだ。人のうれいを見て欣(よろこ)び、人の悲しみや不運を作って自分の快楽とする。自分一つの生命(いのち)を保つためには、千人の人間の生命を殺(あや)めてもなお悔いを知らぬ。かくのごとく天城四郎は、無慈悲だ、強慾だ、殺生ずきだ!そして、女を見れば淫(みだら)になり、他人の幸福をみれば呪詛(じゅそ)したくなる。――これでも俺を善人というか」

「まことに、近ごろめずらしい真実の声を聞いた。話せば話すほど、おもとはいつわらぬよいお人じゃ」