四郎は自分が世に隠れなき大悪の張本人であることをもって誇りとしているのである。
しかるに、今夜の相手は、自分の兇悪ぶりに対して、一向に驚かないのみか自分を目(もく)して、素直だといい、正直者だといい、善人だという。
これでは、天城四郎たる者の沽(こ)券(けん)はない。
彼は足蹴にされたよりも大きな侮辱を感じて、いちいち範宴のことばに腹が立った。
ことばすずしく自分を揶揄(やゆ)するものであると取って、
「やかましいっ」
と最後には大喝を発して、顔にも、肩にも、腕にも、怒りの筋肉をもりあげ、全身をもって悪形(あくぎょう)の威厳を示した。
「おれを、賞(ほ)めそやしたら、おれが喜ぶとでも思っているのか。甘くみるな。そんな生やさしい人間とは人間のできがちがう。四の五はよいから、金を出せ」
「この無住にひとしい官院に、黄(こ)金(がね)があろうわけはない」
「家(や)探(さが)しするぞ」
「心すむまでするがよい」
「それ、探してこい」
手下どもへ顎(あご)を振って、四郎は再び範宴を監視した。
終始、範宴の姿なり面(おもて)からはなんの表情もあらわれなかった。
四郎との一問一答がやむと、睫(まつ)毛(げ)が半眼をふさぐだけのことだった。
散らかって方丈へなだれ込んだ手下たちは、やがて戻ってきて、範宴の室(へや)から一箇の翡(ひ)翠(すい)の硯屏(けんぺい)と堆(つい)朱(しゅ)の手(て)筥(ばこ)とを見出してきただけであった。
金はなかったけれど、その翡翠の硯屏は、四郎の慾心をかなり満足させたらしい。
「寺には、こういう代物(しろもの)があるからな」
と見恍(みと)れていた。
そしてすぐ、
「引き揚げよう。そこいらの物を引っ担いで先へ出ろ」
と命じた。
手下たちは、めいめい盗品を体につけて本堂の外へ出た。
四郎は、動かしかけた足を回(かえ)し、最後の毒口をたたいた。
「範宴、また来るぞ」
鏃(やじり)のような鋭い彼の眸に対して、範宴の向けた眼(まな)ざしは春の星のように笑っていた。
「オオ、また参るがよい」
「ふふん……負惜しみのつよい男だ。人もあろうに、俺のような人間に女犯(にょぼん)の証拠をにぎられたのが汝(てめえ)の災難。一生末生、つきまとって金をせびるものと観念しておけよ」
「ふかいご縁じゃ。いつかはこの浅からぬ宿縁に、法(のり)の華(はな)が咲くであろうよ」
「まだ囈(たわ)言(ごと)を吐いていやがる。おれの悪を偽面とぬかしたが、汝(てめえ)も、聖(ひじり)めかしたその偽面を、ぬぎ捨てて、凡(ぼん)下(げ)は凡下なりに世を送ったほうが、ずんと気が楽だろうぜ。はははは、坊主に説教は逆さまだが、俺の経文(きょうもん)は生きた人間へのあらたかな極楽の近道なのだ。……どれ、だいぶ寒い思いをしたから、今夜は八瀬の傾城(けいせい)に会ってその極楽の衾(ふすま)に、迦(か)陵(りょう)頻(びん)伽(が)の声でも聞こう。おさらば」
盗賊の習性として、現場を退(ひ)く時の身ごなしは眼にもとまらないほど敏捷(びんしょう)であった。
廻廊へ出たと思うと、四郎の影も、手下どもの影も、谷間を風に捲かれて落ちる枯葉のように、たちまち、その行方を掻(かき)消(け)してしまう。
さっきから歯の根もあわず、縁の柱の蔭にすくんでいた尋有は、悪夢をみているような眼でそれを見送っていた。
※「沽券(こけん)」=対面。品位。また、売り渡しの証文。
※「毒口(どくぐち)」=毒々しくいう言葉つき。あくたれぐち。毒舌。