「綽空どの」屋根を仰いで、念(ねん)阿(あ)が呼んだ。
「――上人が、お召しですぞ」
と、下からいう。
綽空は、屋根から下りて、流れで手足を洗ってから。
上人の室へ行った。
熊谷蓮生がそばにいる。
「なにか御用ですか」
「うむ」上人の顔は明るい。
ゆうべの暴風に禅房をふき荒されてかえって自身の風邪(かぜ)の気はすっかり癒(い)えたような顔つきである。
「……太夫房覚明という者が労仕の衆の中におるそうじゃの」
「はい、見えております」
「おん身を慕って、この禅房に、置いてくれという頼みを、蓮生からすがってきた。何といたそう」
「成らぬことに存じます」
「なぜの」
「綽空にはまだ、人の師たる資格ができておりませぬ。また、上人に給仕し奉る一沙(しゃ)弥(み)の私に、付人などは持たれませぬ」
「じゃが……」
上人は考えこんだが、すぐ白い眉をあげて、
「この法然がゆるすと申したらどうあろうか。念仏門の屋根の下には、階級も、事情もないはずじゃ。何ものにもこだわらず、あるがままに平等な姿であるのが念仏者じゃ」
「お返し申すことばはございませぬ」
「では、おまかせあれ」
「はい」
「蓮生、伝えてやれ」
熊谷蓮生はすぐ起って、
「よろこびましょう」
と、外へ出て行った。
覚明は、雀(こ)踊(おど)りして、やがて綽空の前にひざまずいた。
綽空は、叱った。
「なぜそんな礼儀をする。上人のおゆるしによって、お汝(こと)も入室されたのだ。今日からは、いわば綽空とも同様な同寮の清(せい)衆(しゅう)であるのだ。この身に侍(かしず)くなどと思う心をすてて、お身と共に、念仏に専念することじゃ」
「ありがとう存じます」
覚明はそういわれた旨(むね)をよく体して、禅房の末座に加わって、薪(まき)を割り、水を汲んだ。
念仏の屋根の下に、またこうして一人の信仰の友がふえたのである。
暴風雨(あらし)の破損もやがてすっかり修繕されて、冬の夜の炉べりは賑やかだった。
生む力、殖えてゆく力、念仏門の信仰は、春の土壌のような無限さをもって、日月の光のとどかない所にも念仏の声はあるように弘まって行った。
したがって、(ぜひ、上人のお膝元に)と、入室を願ってうごかない熱心な求道者も、断りきれないほど日々訪ねてくる。
綽空は、同房の混雑に、その年のすえ、岡崎に小(ささ)やかな草庵を見つけて、そこへ身を移すことにした。
勿論、日ごとに、岡崎から吉水へ通って、上人に仕えることと易(い)行(ぎょう)念仏門の本願に研鑽(けんさん)することは一日とて、怠るのではなかった。