「なるほど」
覚明は、大きくうなずいた。
そして、熊谷蓮生の黒い法(ほう)衣(え)のほか一物も着けない姿を見直して、おのずから頭のさがる気がした。
「その醜土から抜け出してみると、よくもまあ、あんな中で、たとえ半生でも送っていたと、俺も時々、過去をふり向いて慄然(りつぜん)とすることがある」
「して、太夫房」
と、蓮生は、覚明の顔をまじまじと見て、
「貴公は、時々、法(ほう)筵(えん)でも見かけたことはないが、どうして、今日はここへきて手伝っているのか」
「いや、飛入りだ」
覚明は、磊落(らいらく)に、頭へ手をやった。
「――実は、こういう場合でもなければ、師のお側へ近づけないし、師の房が、屋根の上で、あんな下(げ)人(にん)のする業(わざ)をもなすっているのに、手をこまぬいて見ているわけにもゆかん。そこで俺は、誰に頼まれたわけでもないが、倒れている庭木を起して植え直しているのだ」
「ふうむ……。貴公の師とよぶ人は、上人ではないのだな」
「あれに上がって、屋根繕(つくろ)いをしている範宴少(しょう)僧(そう)都(ず)――。いやここへ入ってから綽空と名をあらためたあのお方だ」
「ほ……。綽空殿の?」
「時に、頼みがあるが肯(き)いてくれないか」
「わしに?何か」
「ほかではないが、俺は、どうしても、師の綽空様のお側にいたい。けれどそれを師にすがって見ても無駄はわかっているので、きょうまで、控えていたが、師と離れている俺は、飼主を失った野良犬のようにさびしい。ともすると、せっかく、築きかけてきた信仰もくずれそうな心地さえする」
「そうか。綽空殿と共に、ここにいたいと願うてくれというのじゃな」
「そうだ」
「師弟の心情としてそうあるはずだ。
待っておれ、綽空殿に、話してきてやる」
「いや」あわてて覚明は手を振った。
「綽空様からは、必ずとも、ここへも訪ねてくることならぬといい渡されているのだから、今日、俺がここで労(はたら)いているのでも、あるいは、お叱りの種となるかも知れぬ。どうか、上人へおすがり申して、お声をかけて戴きたいのだ」
「ははは。木曾殿の猛将といわれた太夫房覚明も、法(のり)の師(し)には、気が弱いの。よしよし、上人にお打ちあけして、貴公の頼みをとりなしてみよう」
「たのむ」
覚明がふたたび鍬(くわ)を持って立つのを後にして、蓮生は、上人のいる室のほうへ歩いて行った、そして、壊れたつま戸や屏(びょう)風(ぶ)を立てまわして端(はし)居(い)している法然の前へ行って、何かしばらく話しているらしく見えた。