ひろい講堂に隣り合って、そこも広い板敷の僧房だった。
念(ねん)阿(あ)だの、心(しん)寂(じゃく)だの、蓮生のような長老たちは見えないが、若い弟子僧たちは、そこの大きな炉を中心にして、大家族の母(おも)屋(や)みたいに、閑談しているのが常だった。
「茶でもさし上げようかと思うているが、いっこう、お客間から、手が鳴らんのう」
「うむ、月輪殿も、きょうはだいぶお長座(なが)いことだ」
そこへ、奥から一人の僧が、まだ生後やっと十(と)月(つき)ぐらいな嬰(あか)児(ご)を抱えてきて、
「困った困った、米(よね)の粉を掻いてくれい」
「オオ、眼をさましたか」
「泣き出すと、黙らんのじゃ」
「盛(せい)蓮(れん)は、あやし上手よ、盛蓮に負(お)わせい」
「わたしが、負いましょう」
「わたしが、負いましょう」
僧房のうちで、いちばん年下の盛蓮が、その赤ん坊を負って、ひろい講堂のうちを
ねんねん、寝たまえ
寝ねんぶつ
ねんねん、居たまえ
居ねんぶつ
立つも、あゆむも
ねんぶつに
浄土の、門では
何が咲く
いつも、ぼだい樹
沙羅(さら)双樹(そうじゅ)
子守唄をうたって巡っていると、くるま座になっている人々が、
「ははは、盛蓮がまた、でたらめを唄っておる」
「然し、盛蓮も、いつか大きくなったな。――平家が今も盛んならば、無官の大夫敦盛の公達なのだが」
「あの盛蓮も、平家の没落後、路ばたに、捨てられてあったのを、旅の途中、上人が拾っておいでなされたのだそうな……」
「上人は、子どもがお好きだのう。あの乳のみ子も、四、五日前に、拾いあげておいでなされたのだし……」
「捨子が、捨子を負うて、子守唄をうたっている禅房などは、日本広しといえども、この吉水よりほかにない」笑さざめいていると、突然、奥の上人の室から、その上人と月輪殿とが、姿をそろえて、床を歩んできた。
「綽空はいますか」上人が見廻していう。
「はい、これにおります」
隅のほうで読書していた綽空が、静かに、書物をおいて、上人の前へすすんだ。
そして、両手をついた。
「なんぞ、御用ですか」