小説・親鸞 去来篇 2015年1月28日

「――余の儀ではございませぬが、上人はもとより、持(じ)律(りつ)戒(かい)行(ぎょう)の清浄(しょうじょう)身(しん)におわすし、また、八十有余の御弟子(みでし)たちも、みな、おごそかに戒(かい)を守っている浄行の御出家のみと存じますが。……さるを、かく申す私などは」

月輪殿は、ふと言葉を切って自分の長い政治的な生涯を心のうちで振り返るように――

「容(かたち)こそ、染(せん)衣(え)を纏(まと)っておりますなれど、畜妻たん(ちくさいたん)肉(にく)の俗に馴れて、いまだに、美食玉住の在(ざい)家(け)をふり捨てもかなわず、こうしてただ心と行(おこな)いとに、大きな矛盾をもちながら念仏を申しておることゆえ、上人の仰せられたる念仏や、御弟子たちの称える念仏とは、おのずから功(く)力(りき)が違うものではないかと思われますがいかがなものでござろうか」

「ご疑念とは、そのことですか」

上人は月輪殿の素直な問いをよろこぶようにうなずいて、

「いわれのないお疑いです。経には、十万(じゅうまん)衆生(しゅじょう)説かれ、釈(しゃく)には、一切(いっさい)善悪(ぜんなく)凡(ぼん)夫(ぶ)得生(とくしょう)とあるではございませぬか。僧と、俗との間に、何の隔てがありましょうぞ。あなたの唱うる念仏も、この法然の念ずる念仏も、一です、二(ふた)いろはありません」

「――けれど、女人を避け、不浄をくらわぬ清僧の念仏と、朝夕(ちょうせき)に、妻子の恩愛には惑い、酒肉や五(ご)辛(しん)の物(ぶつ)味(み)にわずかな慰安をむさぼっている吾々のような不浄の口でいう念仏とは、どうしても、差があるように思われますが」

「――お考え違いである」

上人は、胸をのばした。

「――常々、申すとおり、念仏門は、一切他力本願です、愚者悪者も、浄土に、洩らすまいというのが本願である道に、なんで、さような差別がありましょう、疑われるな、ただ、念仏さえ申せば、往生を得ること、法然が牢固として信じるところでござる」

「その御(み)教(おし)えは、幾度かうかがって、自分ではわかっている気がしながら、時折、また同じような疑いに惑(まど)うのでござります、怖(おそ)らくこれは私一人の疑いとは覚えませぬ。――なぜならば、ではなぜ、僧は妻をもたぬか、肉を忌(い)むかということに考えいたるからであります」

「いと易(たやす)いお質問(たずね)じゃ、それらの行(ぎょう)はすべて、修行の障(さわ)りとなるために、自力を頼んで排した難行道の相(すがた)なのです。他力易行の門には敢てないことじゃ、あるがままの相(すがた)にまかせておくのみで、こうあれと強(し)いることはすでに難行道になろう。自力門の修行は、智慧を窮めて生(しょう)死(じ)を離れ、易(い)行門(ぎょうもん)の修行は、痴愚(ちぐ)にかえって極楽に生れるところにあるのでござる。法然とても、好むままの生活(くらし)をとっているに過ぎません、努めて、肉食を忌(い)み、女人を避けている次第ではない、ただ、今のままが、気楽であるし、自分にぴったりしているために、容(かたち)をかえないだけのことです」

「では……」

月輪殿は、何か大きな救いの手の下へ、歓喜してひれ伏すように、思わず声を弾(はず)ませていった。

「御弟子(みでし)のうちから、一人の若人をちょうだいして、私の末(す)姫(え)の女(むすめ)と娶(め)合(あわ)せたいと考えまするが、上人に、お言葉添えをしていただかれましょうや?……」

琥(こ)珀(はく)の珠でもあるかのような上人の眸(ひとみ)が、和(なご)やかな皺(しわ)の中で――何もかも知りぬいて――またいかにも本意そうに、にっと笑みをたたえていた。

「それは至極なお考えじゃ、法然も、骨を折りましょう。――したが、誰を、お望みか?」

*「五辛(ごしん)」=辛(から)味(み)のある五種の野菜で、五(ご)葷(くん)ともいう。仏教ではにんにく、のびる、ねぎ、にら、らっきょう。道教では、にら、らっきょう、あぶらな、にんにく、コエンドロ。いずれも、食することが禁じられる。