――誰だろう?弁円がいぶかりながら元の道へ足をもどして行くと、遠くから呼びとめた僧体の男も、彼方から歩み出して、お互いに距離をちぢめた。
そして、双方の顔がわかる程度まで近づくと、
「あっ?」
弁円は大げさに叫んだ。
いや、驚くのが当りまえで、彼があっといったのも、あながち誇張ではない。
「――四郎じゃないかっ」
駈け出して、その僧体の男の前に立ち、もいちど、呆れ返ったように眼をみはった。
天城四郎はきれいに頭を剃っていた。
見るからに剽悍(ひょうかん)なあの野武士のていの姿はどこにもない。
この寒空にうすい墨の法衣(ころも)一枚なのだ。
そして、惨忍にかがやいていた眼も、酷悪に尖っていた鼻ばしらや顎骨(がっこつ)も、どことなく和(なご)んでしまって、つい先ごろここで、(よしっ、待っていろ)と、悪業へ勇み立って行ったあの大盗らしい面影もないのである。
弁円はあまりのことに、
「うむむ……」
ややしばらく唸(うめ)いているばかりであったが、
「おいっ」
いきなり四郎の方へ手をかけ、揺すぶるようにしていった。
「ど、どうしたんだ一体、その姿は。――毎日、どれほどここでおれは待っていたか知れないぞ。してまた、頼んだことは、突きとめたか」
四郎は、にやりと笑って、
「弁円……」
「なんだ」
「おれはもう、神通力(じんずうりき)を失ってしまった。その代りに、この通り、仏果(ぶっか)の功力(くりき)というものを授かった」
「待てオイ。――貴様はいったい正気か」
「正気だ」
「そんな姿に変ったのは、あの事件の秘密を探るために、吉水禅房の奴らをあざむくための手段にやったのではないのか」
「たれが、嘘や手段に頭を剃るか。――わしはついきのう、上人のおゆるしを賜わって、岡崎の善信どのの手で得度していただいたのだ」
「得度を」
「おれは初めて、明るいこの世を見た。うれしくて、欣(うれ)しくて、堪らないのだ。このさわやかな心持を誰に話そう?……。考えてみると、おれの母も父もおれを生れぞこないの悪鬼だとばかり嘆いていた。その両親(ふたおや)もどうしているやら。……ああ誰かにこの欣びを告げたいがと――そこで貴様のことを思い出してやって来たのだ」
「――えっ、そんなことで、この弁円を思い出したのか。じゃ松虫鈴虫の行方を突きとめてくれと頼んだことは」
「もうよせ」
「な、なんだと」
「つまらぬ邪念に躍起となって、おのれも苦しみ、人も苦しめてどうするか」
「待て、ば、ばかっ。――おれは貴様から意見を聞こうなどと思わぬ」
「悪いことはいわぬから、人を呪詛(じゅそ)することはやめにしろ。善いことはしなくとも、それだけでもよほど自分が楽になるから」
「さては、てめえは吉水へ忍び込んで行って、あべこべに吉水禅房の法然や善信に騙(たば)かられたな」
「勿体ない、おれを生れ甦(かえ)らせてくれた師に対して、悪口(あっこう)をたたくと承知せぬぞ」
「何をいうかっ」
弁円は杖をふりあげて、四郎の横顔へ、ぴゅっとそれを揮(ふ)り下(お)ろした。
※「神通力(じんずうりき)」=何事をもなしうる霊妙な力。じんつうりきとも。