(あいつ、どうしたのか?)
播磨坊弁円は、こう舌打ちをならして、人通りもない辺りへ向って、人でもいるように罵った。
「いい加減な法螺(ほら)をふきおって――。口ほどもない奴だ、もう今日で十日以上にもなるではないか。
……だのにあれきり音沙汰もない」
いつぞや天城四郎と立ち話でかたい約束をして別れた加茂川の堤だった。
そこへ彼はおとといも来てみた。
きのうも来てみた、そしてまた今日も、
(もしや?)と思って来たのである。
しかるに天城四郎は影もかたちも見せないではないか。
聖護院のほうへやって来るかと心待ちにして、毎日、帰るとすぐ宿房の下男に聞いてみるが、手紙も来なければ、使いも見えない。
(まあ、見ていろ。近いうちにおれが吉報を持ってゆくから――)と、さも無造作にいって、松虫と鈴虫の局(つぼね)のありかを突きとめてくるように広言して行ったくせに、十日以上も沙汰なしとは、いくら盗賊の通癖とはいってもあまりにずぼら過ぎる。
「あいつが広言を吐いてひきうけるようなことをいわなければ、おれが自身で探したものを――」
弁円は、腹が立って、たまらなかった。
しかし、その文句をいう相手がいないので、彼はつい、独り言に、そうつぶやいて、河原の方を見たり、堤の上を眺めたり、ややしばらくを、意味なくそこで立ち迷っていることしかする術(すべ)はないのであった。
彼がしきりと焦心(あせ)っているのも、実は無理でないのであって、仙洞御所(せんとうのごしょ)の命はいよいよきびしく、中務省の吏員(りいん)はやっきになって、二人の局の詮議に今は白熱しているかたちなのである。
それに、市中(まちなか)へ立てた官の高札は、たちまち効き目があって、それに掲示された恩賞を利得しようとする洛内の雑人(ぞうにん)たちが、密偵になりきったように、寄るとさわると、松虫の局と鈴虫の局のありかについて、目鼻をするどくし合っているのだ。
弁円が悠々と待っていられない気持はそこにあった。
まごまごしていれば何人(なんびと)かがきっと探し当てて官へ密訴して出るにちがいない。
虻蜂(あぶはち)とらずの目を見てしまうに違いない。
「ええ、ばかな」
彼は、自分の迂愚(うぐ)を罵って、
「――あんな男をあてにして、のんべんだらりと待っている奴が間抜けというものだ。よし、もう当てにすまい。自分の力で突きとめてみせる」
弁円は、杖を持ち直して歩き出した。
――といっても、彼にもすぐ的(あて)があるわけではないが。
(吉水)と、思ったが、さすがに彼には、そこへ近づく気になれない。
こっちの探らぬうちに、先に疑われてしまうだろうと思った。
――どこか、吉水の浄土門に関係のあるほうから探ってやろう。
外郭から手繰ってゆくのも案外面白いかも知れない。
そんなことを考えながら、三条のほうへ、並木にそって、半町ほど歩みかけると、誰か、後ろで自分を呼ぶ声がする――
振向いてむると、今、自分が立っていた堤の上に、一つの人影が見え、手をあげて招いているのだった。
「ア。……四郎か?」
と思ったが、それにしては姿がちがっている。
どうやら自分を呼んでいるその男は、黒い法衣(ほうえ)を来た僧らしいのである。
※「虻蜂とらず(あぶはちとらず)」=両方を得ようとして、どちらも得られないたとえ。