導かれて行く縁を踏んで、四郎はその縁の下に忍び込んだ夜の念仏の声を思い出した。
「しばらくそこに……」
と、彼を次の部屋に待たせておいて、善信だけが奥の間へ入った。
ややしばらくのあいだ、四郎はじっとそこに坐りこんでいた。
と、やがて、
「入るがよい」
と、隔ての襖(ふすま)が開いて善信の半身が見える。
「はい」
四郎は、容易にそこへ入り得なかった。
何か怖ろしい重圧をうける感じだった。
また、自分のすがたが――いや心がいかにも見窶(みすぼ)らしく思えて負(ひ)け目を感じるらしいのである。
「遠慮のう」
これは善信と向い合っている眉雪(びせつ)の老僧のことばだった。
はっと四郎は頭を下げてしまった。
うっかりしていたがそれが法然上人であると気づいたからだった。
「ここで。はい、ここでもう充分結構でございます」
「寒風が洩る――」
と、善信がいった、
「上人はちとお風邪のきみでいらっしゃるのだ。おことばに甘えて」
「でも、同座にはあまりに」
すると上人は、叱るように、
「そんな心はそちの習性じゃぞ、直さねばいかぬ、何のけじめを」
と、いった。
「はっ……」
すすんで後(あと)を閉(た)て切ると、上人のまわりをつつんでいる暖かな部屋の空気が、やがて、四郎の凍えている心をもつつんだ。
「善信から今、そちのこと、つぶさに聞いて、近ごろのうれしいことの一つに思うているのじゃ。弥陀超世の悲願というのは、たとえ十悪の凡夫でも、五逆の大罪を犯した者でも、ひとしく慈悲をもって見、飽くまで救ってとらそうという御誓願を申したのじゃ。それゆえ、どんな悪逆無道の者とても、如来の悲願を信じて、一念に称名念仏すれば、必ず、生れかわることができる」
四郎は、眼をうるませながら、思わず身をのり出して、
「――生れかわる。……オオ私でも、生れ変ることができましょうか」
「見よ」
上人の強いことばだった。
そして指を、そういう四郎の胸にさし向けていった。
「そちはもうすでに生れかわっているではないか。邪智、妄念の鬼になって、この縁下に、寸前の闇を、猜疑の眼にさぐりながら、息をころしていた時の自分と、こうして、明らかに、安らかに、われらと語り合っている自分と、思い較べてみたら分るであろうが」
「ああ。上人様」
四郎は、合掌したまま、頭(こうべ)をすりつけてさけんだ。
「おゆるし下さいませ。何もかも、今までのことは。……善信様にも」
こんな弱い男であったろうかと疑いたいほど、四郎は、変ってしまった。
木賊(とくさの)四郎、天城四郎と、その悪名を洛内はおろか、近国に鳴らしていた男とは受けとれないほどな姿だった。
四郎は過去のこと――犯した罪業――あらゆる事どもを喋舌(しゃべ)ってしまいたかった。
五臓の毒物を吐くように、彼は懺悔しては泣きぬれた。
そしてこれからは、それを償(あがな)うだけの善根をしなければならないと嘆いた。
また、彼は、禅房の床下へ忍んだり、法話を聴く信徒の中に交じってきたりした目的も、一切、上人と善信に告げた。
そして、ここの教門を倒そうとする策謀が行われていることも注意したが、元より善信もそれは感知していることだし、上人はなおさら戸を打つ冬の風とも心にかけない風(ふう)なのであった。