『ありのままの私を受けとめてくださる阿弥陀さま』(後期)

「ありのままの私」とはどんな私でしょうか。

毎朝起きたら、鏡を見て、顔を洗い、寝癖を整える方が多いと思いますが、鏡を見れば、私の容姿を見ることができます。

しかし、体の中や心の中を見て整えることはできません。

「体の中」は、病院へ行き様々な器具を駆使すれば、大抵のことは見えるようになったそうですが、医学が飛躍的に進歩している現代においても解らないことがたくさんあります。

では「心の中」はどうでしょうか。

マジック(マジシャン)は、人の心理的要素・視覚的な錯覚を利用したトリックが多いようです。

タネ(仕掛け)が分かれば、こんな簡単な事だったのかと驚くと同時に、そのような単純なことに惑わされていた自分に少しがっかりしたりもします。

自分のことは自分が一番わかっていると思いがちですが、最近の流行やメディアで取りあげられる内容を考えてみると、多くの人が自分自身に疑問を抱え、その答えを様々な方法で求めていることが伺えます。

心の不安や疑問を逆手に取った悪質な事件もあるように、簡単に惑わされてしまうのが私の心です。

占いやおまじない、パワースポットやスピリチュアル等々、現代では数えきれないほどの情報が溢れています。

「心の中」を見ることは本当に難しいことです。

これでいいのか、これで足りるのか、これで安心できるのか、これでいいのか、これでもいいのかと、尽きることのない不安や望みを追い求めるその姿こそが「ありのままの私」だといえます。

「ありのままの私を受けとめてくださる阿弥陀さま」といただきました。

あっちへフラフラ、こっちへフラフラする私であっても、しっかりと受けとめ、抱きしめてくださるのが阿弥陀さまです。

私が心配せずとも、私のその姿を見抜かれたからこそ、先に「南無阿弥陀仏」かならずあなたをお浄土へ生まれさせると喚びつづけてくださっているのが阿弥陀さまです。

命の行く末がお浄土であり、この私が仏となる命をいただいているのだと知らされることが肝要ではないでしょうか。

心の中に揺れることのない支えをいただくことです。

合掌