室は明るかった。
都から来た二人の女性の客をそよそよ吹いて、春のにおいを持つ微風が、静かにそこへ坐った親鸞との間を通って、裏の竹林をそよがせる。
「――まず何より先に承りいたいのは、師法然御房の御消息、月輪のお館へは、讃岐の上人より折々のおたよりもあろう、その後のご様子はどうおざるか……。お変りもおわさぬか」
親鸞は訊ねた。
埃にまみれた髪を梳(す)き、旅衣の腰紐を解いて、彼の前に坐った万野と鈴野の二人は、(なにから先にいおう)と、胸がつまってしまったように、ややしばらくの間、俯目(ふしめ)に指をつかえていた。
次の間には、西仏や生信房などの人々が、これも、都の消息を聞きたさに、膝をかたくして控えていた。
「――はい、讃岐の上人様には、お館の御領地、讃岐国塩飽(さぬきのくにしあく)の小松の庄とやらいう所に、新たに一寺を建てて生福寺を申しあげ、お変りもなくご教化(きょうげ)の由にござりまする」
万野の答を聞くと、
「おお、そうか」
親鸞は、ほっと深いうなずきをした。
その安心が顔いろに現われて明るい眉になった。
「それをうかがって、まず安堵した。――さて、次には、お舅君の月輪老公にも、さだめしおすこやかでおられましょうな」
「……はい、その禅閤様は」
万野のことばが濁ったので、親鸞はふと膝をゆるがせて、
「お病気(いたつき)でもあるか」
「おかくれなさいました」
「なに」
はっと胸を上げて、
「老公には、御死去とか。……してまた、それはいつ?」
「去年(こぞ)の――承元四年の四月五日のことでございます。その前からのかりそめのお病が因(もと)となりまして」
「ああ知らなんだ……」
と、親鸞は思わず声を落して――
「この身、配所にあるとは申せ、きょうまで、何も知らずにおった。――念仏門の大恩人、讃岐におわす師の法然御房もさだめしお力を落されたことであろう」
「そればかりではございませぬ……。まだまだ、お耳を驚かさねばならぬことが」
もうこれ以上の悲しいことを、親鸞へ告げるにたえない気がしてきたのである。
万野は、怺(こら)えていたものを瞼からはふりこぼして、袖口を眼に押し当てた。
「この上にも、親鸞が驚くこととは何か。……はて心がかりな。万野、まだ誰ぞその上に凶事でもあるか」
「は、はい……」
「親鸞は何事にも驚かぬことを誓う。気づかいなくいうがよい」
「裏方の玉日様が……」
「玉日が?」
「お師さまの御流謫(ごるたく)の後は、和子様を護り育てて、青蓮院の叔父君から名も範意といただき、行く末は、お父君にもまさる名僧になれかしを、ひたすら和子様のお育ちをたのしみながら、また朝夕に、越後の空を恋い慕うておいでなされましたが、月輪様の御逝去やら、何かの憂さが、積もられて、この冬、ふとお風邪をひいたが因となって――」
そこまでいうと、万野はわっと、顔に袂をおおって咽(むせ)び泣いてしまった。