夕餉の煙が露草に這う。
万野は、厨の竈(かまど)に火を焚き、鈴野はもうほの暗い流れで野菜を洗っていた。
もう初秋である。
暮れると急に、この山間(やまあい)は陽かげになって、寒かった。
「……はての?」
里人に道を教えられて、一途(いちず)にこの小丸山へ来たらしいのであったが、旅の老武士は、そこに働いている卑(いや)しくない女性(にょしょう)をながめて、ここが配所であり僧の住居とは考えられないようにいぶかって佇(たた)ずんでいた。
狩衣のすそを旅支度にくくり、襟の下には鎧の小実(こざね)が煌(きら)めいていた、長やかな銀作りの太刀を、革紐で横佩(ば)きにし、それでいて烏帽子をいただいた髪の毛は真っ白なのである、年齢はもう六十がらみに違いないのだ、けれど足もとも身体も、壮者のようにがっしりしていた。
「ちと、もの承りたいが――」
こういって、鈴野のそばへ老武士は寄って行った。
めずらしくその言葉は、上方の語音である。
鈴野はハッと思って、濡れ手のまま立った。
「はい……何ぞ」
「つかぬことを承るが、親鸞上人のご配所は」
「こちらでございますが」
「オ……やはり」と、老武士は安堵したように、
「上人は、ご在宅かの」
「おいでなされます」
「あれが、お入口か」
「いえ、厨でございます、どうぞこちらへお越しなさいませ」
小走りに、鈴野は先へ駈けてゆく。
―駈けつつも、
(どなたであろうか)不審でならなかった。
玄関を教えると、老武士は、裾を解き、塵を払って、烏帽子のゆがみをも正しながら、
「たのむ」
おごそかに訪れた。
いあわせた教順房が、
「どなた様でいらっしゃいますか」
と、眼をみはった。
老武士は慇懃な――どこやらに卑しくない教養と世に練れたものごしで、
「突然おたずねして参って、ご不審に思し召そうが、それがしは近江の住人佐々木三郎盛綱とよぶ者――折入って上人に御意得とう存じて、はるばるこれまで身ひとつで参った者でござる。――おつとめの折とあらば、他の室にてお待ち申すも苦しゅうござらぬ、お取次だけを」
と、行きとどいている会釈。
はっ――と教順は胸に大きなものをぶつけられた気がした。
近江の佐々木盛綱といえばこの辺土にも知れ渡っている源家の豪族である。
あわただしく、奥へ告げに行くと、ちょうど廊下でぶつかった西仏房が、それと聞いて、
「なに、佐々木殿が見えたと」
つかつかと彼は玄関へ出てきたのである、そしてもの明るい夕暗(ゆうやみ)の軒端(のきば)に、その人の影を透かして見て、
「やあ」
と、なつかしげにいった。
「三郎盛綱どのか。珍らしい珍らしい、元の木曾の幕下(ばっか)太夫房覚明じゃ」
「えっ?」
と、盛綱は、意外な旧知を見出して驚きながら、
「木曾の覚明じゃと。……オオなるほど、世も変ったが、おぬしがかような所におろうとは、さてさて時の流れは、思いがけないことになるのう」
*「小実(こざね)【小札】」=鎧の札(さね)の小さいもの。札は、鉄または練皮(ねりかわ)で作った小さい板で、鎧・かぶとの材料。
Z・かぶとの材料。