「お仏壇にはご先祖の方が祀られているのですか?」というご質問ですが、祀(まつ)るという言葉が幅広い意味を持ちますので、ここでは「お仏壇にご先祖が住んでいらっしゃるのですか?」ということで書かせていただきたいと思います。
ご先祖といって多くの方が思い浮かべるのは、お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんではないでしょうか。
なかには曾(ひい)おばあちゃん、曾おじいちゃんの顔を覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、先祖を十代遡(さかのぼ)ったら二千人を超える方々がいらっしゃると言われていまして、遡るほど、多くのご先祖がいらっしゃったことに驚かされます。
その一人でも欠けてしまったなら今の私はここにはいません。
すべての方が私に命を繋いでくださったかけがえのないご先祖方です。
阿弥陀如来という仏様は、すべての人々を必ずお浄土へ生まれさせるとお誓いくださいました。
そのお誓いの通り、数えきれないご先祖がお浄土へ生まれていかれました。
その様子を親鸞聖人は、正信偈に「衆水、海に入りて一味なるが如し。」と顕されています。
日本にも色々な川があります。
きれいな川もあれば、汚い川もあります。
源泉がすごく遠くから流れてきている川もあれば、近くから流れてきている川もあります。
しかし、どんな川であっても海に流れ込んだならば、海の一つの味(塩味)になります。
私たちも一人一人が様々な人生を歩んでいます。
山あり谷あり、長生きする方もいれば、若くして往生された方もいらっしゃいます。
しかし、どんな人生を歩んでいたとしても阿弥陀さまのお働きによって、すべての人が同じお浄土へと生まれさせていただけるのであります。
そのお浄土が光を放つのです。
この光は目に見ることは難しいですが、私たちを必ず苦しみから救う光です。
お仏壇と言う場所は、その光が差し込む「窓」で、その光を味わう場所です。
この光を南無阿弥陀仏と言います。
ご先祖はお仏壇という窓に住んでいるのではなく、お仏壇から差し込む南無阿弥陀仏の光の中に住んでいらっしゃるのです。
お寺の内陣やお墓も同じことが言えます。
阿弥陀様が安置されているお寺や、「南無阿弥陀仏」・「倶会一処」と刻まれたお墓。
これらも南無阿弥陀仏の光を私に届けてくださる「窓」です。
お昼に、どの部屋の窓を開けても同じ太陽の光が入ってくるように、お寺、お仏壇、お墓、どの窓からも南無阿弥陀仏の光が差し込んできます。
この南無阿弥陀仏の光の中に、数えきれないご先祖の方々がいらっしゃいます。