親鸞 2016年8月1日

「そちたちも行くか」と、親鸞は、二人の子に手を引っぱられて、藁草履(わらぞうり)をはいた。

裏方の朝姫も、

「どれ、お父さまのお出まし、お門(かど)までお送りしましょうかの」

乳のみを抱いて、裏口へ出た。

 親鸞は、草庵の裏へ出て、少し歩むと、井戸のそばに草履をぬいで、跣足(はだし)になった。

そして、法衣(ころも)のすそを高くからげると、毛のふかい脛がむき出されたので、子どもたちは、父のそうした姿をよろこんで、

「お父さまが、お百姓になった。お父さまが田植しにござる」

と、手をたたいた。

親鸞は、僧房の窓を振向いて、

「生信房はいるか」

するとすぐ、生信房は外へ出てきて、

「おお。……今日もお出かけなされますか」

「大地を素足で踏むと、一日も踏まずにはおられぬような気のするほど、よい心地じゃ。西仏にも、後から来よと告げてくだされ」

「はい」

と、生信房が、あわてて支度にもどってゆくと、その間にもう、親鸞は、檜の大きな笠をかむって、すたすたと田の方へ出て行った。

 稲田数千石の田の面(も)は、一眸(ひとめ)のうちに入ってくる。

植えられた田――まだ植えられない田が――縞になって見えた。

あなたこなたには、田植笠が行儀よく幾すじにもなって並んでいるのである。

その笠の列も、空を飛ぶ五位鷺の影も、田水に映っていた。

「お上人さまがいらっしゃったげな」

田の者が、彼の姿を見つけて、すぐ伝え合った。

「おお、ほんとに」

「あんなお姿で来る所を見ると、さっぱりわしらと見分けがつかんわ」

「都にあれば、尊いお身でいられるというのに、なんで、わしらと一緒になって、この泥田の中へ、好んでお入りになるのじゃろ」

「お上人さまの功徳でも、この秋は、ふッさりと穂が実ろうぞや」

そういうことばの下から、はや晩の教えを思い出して、念仏を口にする声もながれた。

親鸞は、そこへ来て、

「みなの衆」

と、にこやかに呼びかけた。

「また、お邪魔に来ましたぞ、手伝いといえば、ていさいはよいがの、お百姓仕事には、親鸞はまだ未熟ゆえ、お邪魔にというとほうがほんとであろう」

「さあさあ、お上人さま、ここの列へ入って、植えてくだされ」

「苗をくだされ」

親鸞は、深々と、泥田のなかへ、脛(すね)を入れていた。

 そして、苗束を持って、四、五本ずつ田へ植え込んでゆきながら、

「だんだん巧みになる。――生信房の植えた苗より、わしのほうが行儀がよいようじゃ」

などと戯れた。

 生信房は、負けない気になって、

「お師さま、そのかわりに、私はあなた様よりも、ずっと植え方が早うございます」

「はははは、でも秋になって、どちらが稲穂がよけいにつくじゃろか。……生信房も皆の衆も、ただこう苗の根を泥の中へ突っ込んでいるだけらしいが、親鸞のはそうでない、一念一植のこころを持っていたしておる。それゆえに、秋になれば、わしの植えた苗は、暴風雨(あらし)にも倒れず、必ず、稲穂もよけいに実るであろう」

と、いった。