「思い通りになるものだというところに 迷いがある」という法語にであいました。
振り返れば、「思い通りにできれば、結構人生は楽しいはずだ。」と確信的に思い込み、そこに「心の置き所」を据えることがあります。
しかし、それが「迷い」だというのです。
時々、こんな法話をします。
「私たちは、ご縁の成り合いの中で生かされています。めぐり合わせですから、願い通りにいかないのがあたりまえで、うまく事が運んだ時は、余程のご縁だから<おかげさま>と感謝しましょう。もし、事がうまく運ばなくても、次のための肥やしとし、無駄にしないようにさらに精進していきましょう」と。
お釈迦様はご説法において、まず「人生は苦なり」と説きました。
この場合の「苦」とは肉体的な苦痛のことではなく、「思う通りにならない」ということです。
人生は楽しいところですよ、思い通りになりますよとは説けなかったのです。
なぜならば、お互いは無常・縁起の世界に生かされているからでした。
換言すれば、「思い通りならない」というところに「心の置き所」を変えることがなかなか出来ないから、必要以上の辛い思いをしなければならないということにもなります。
心が変ると 景色が変わる
平成27年、NHK土曜ドラマで、シンガーソングライターの、さだまさしさんの自伝的青春物語「ちゃんぽん食べたか」が9回にわたり放映されました。
原作を書かれた、さださんはインタビューで、次のようなことを語られたことが新聞に掲載されていました。
「人は誰だって孤独です。生きることは苦しい。それが普通だという前提でいたら、毎日、生きていくのが楽しかった。…苦しさと楽しさを書きたかった。」
「心の置き所」をどこに置くのか。
悲観的過ぎる、ネガティブ過ぎないかという声が聞こえてきそうです。
しかし、ご縁(成り行き)の中でしか生きられない私にとって、もっとも落ち着きの良い、無理のないポジションです。
心が変ると、景色が変わります。
「悲喜こもごも」「苦楽を共にする」…悲しみや、苦しみを通さないと見えない景色があります。
そう理解すると、心が少しだけ軽くなります。