そこで白湯を一碗のむと、親鸞は、もう八分どおりまで竣工(でき)かけている伽藍の足場の下まで行って、
「見事な棟木、結構な欄干、これはちと贅沢じゃの」
と、つぶやいたり、
「来るたびに、眼にみえて、作事が進んでいる。これ皆、有縁の方々の尊い汗、贅沢とはいわれまい、信仰の集積、ただ、この伽藍が親鸞ひとりの隠居所となっては、いかい贅沢じゃ、そうならぬように、親鸞はこの棟木を負うた気で住まねばならぬ」
そんなことも、独り言のようにいった。
証信房は、側から、
「先ごろ、京都(みやこ)へのぼられた真仏御房が、勅額をいただいて参られるころには、伽藍の普請も、悉皆(しっかい)、成就いたしましょう」
「ウム……」
うなずいて、
「そう、そう」
親鸞は、城主の国時をかえりみ、急に思い出したようにいった。
「――この親鸞も、近々に、いちど信州路まで出向かねばならんのう。国時どの、しばらく、宮村の庵(いおり)を留守にいたしますぞ」
「ホ……それはまた俄かな、急に、ご巡錫(じゅんしゃく)でも思い立たれて」
「いやなに、この伽藍に安置して、末世まで、衆生を導かせたもう本尊仏を請い受けに」
「あ、では善光寺へ」
「お迎えに行って参る」
「お供の方々は」
「本尊仏のお迎え、親鸞ひとりでもなるまい。これにおる証信房、鹿島の順信房、そのほか二、三名は召し連れましょう」
話の半ばだった。
大工棟梁の広瀬大膳と、その部下の者が、血まみれになった一人の男を抱え、ばらばらと駈けてきて、
「権之助殿、これにか」
と、いった。
奉行の藤木権之助が、その様子を見て、なにか仕事の上の急用かと、
「オオ、何事」
「また、例の――」
と、大膳や部下たちは、なにか喋舌(しゃべ)りかけたが、そこの丸太足場の蔭に、城主や上人のすがたがちらと見えたので、
「あ……殿も、上人もこれに」
急に、はばかって、大地へひざまずいてしまった。
国時は、ずかずかそこへ来て、
「なんじゃ、何事が起ったのか」
「は……」
口籠って――
「お奉行までご相談に参りましたので、殿のお耳を煩わすほどの儀ではございませぬ」
と、恐縮する。
「何か、大工どもの、賃銀のもめごとでもあるのか」
「さようなことではございませぬ」
権之助が側から、
「大膳どの、殿のお耳へ入ってしまったこと、お隠し申しては、かえってよろしゅうない、なんなりと、申し上げられい」
「……実は、これへ連れて参った屋根葺の職人」
「オオ、怪我をしているな」
「鋭い鑿(のみ)で、片腕を傷つけられ、それを交わそうとして、只今、あれなる足場から転び落ちたのでございます」
「職人どもの喧嘩か」
「は……」
「下手人は何者じゃ。……不埒(ふらち)な、下手人は誰だ」と国時は激怒していった。
*「巡錫(じゅんしゃく)」=錫杖をもって巡行すること。高僧が各地を巡遊、修行、あるいは人々を教化(きょうげ)すること。