『人生には必要にして十分なことばかり』(後期)

 日頃、私たちは自分の都合の良いものは「善」、自分に都合の悪いものは「悪」という、自己中心的な判断をしながら生きています。

 その自己中心の主張が、意に添わない不必要だと思う相手は踏みつけ、傷つけ、あげくの果て、尊いいのちまで奪ってしまう事件が日常茶飯におきています。

 そこで、ホッと心やわらぐエピソードを紹介します。

 

 プロゴルファーの福沢義光さん。

 兵庫県で開催された大会の最終日、15番ホール(パー5)でのこと。

 パシッと打った第2打が、コロコロ転がって止まった。

 ボールに近づくと、何と赤とんぼがその下敷きになっている。

 草の上で羽を休めていたところに、乗りあげたらしい。

 そのまま打てば間違いなく死んでしまうだろう。

 彼はボールをそっと持ち上げ、トンボを逃がしてやった。

 このホールはパーでまとめたが、試合後、協議委員長に「持ち上げ」を奉告。

 ルールにより1打罰が加えられた。

 最終成績は14オーバーで、67人中の最下位。

 「ルールは知っていた。でもトンボを打つのはかわいそうだ」

 と福沢さんは語ったそうだ。

 華やかさの陰のほのぼのとした行為に、日本ユネスコ協会連盟は、第9回日本フェアプレイ特別賞を贈ることにした。

 (朝日新聞「天声人語」)

 

 世の中には、赤とんぼだけでなく、文句を言えない、たくさんの弱い存在のいのちが人間と共存していきています。

 どんないのちもご縁の中で、「持ちつ持たれつ」しながら生きているのです。

 「トンボを打つのはかわいそうだ」と言い切った福沢さんの眼は、きっと少年の眼のように澄みきっていたことでしょう。

 一つひとつのいのちをどのように扱うかは、その人の価値判断にかかってきます。

 福沢さんは「小さないのち」にも、人間は本当に優しくなれることを教えてくれました。