親鸞 2016年11月9日

「出せっ、今見ていた物を見せろっ」

良人の怒号を浴びて、お吉は、紙のように白くなってしまった。

「かくしたなっ、何か」

「いえ……」

「なんだっ、今、ふところへ隠した物はなんだ」

「……これは」

胸を抱いて、彼女はすくんでしまった。

「ははあ、読めた。どうもこのごろ、おれに向って、てめえの様子がやさしすぎるわいと変に思っていたが、さては、隠し男をこしらえていやがるな」

「めっ、滅相もない」

「うんにゃ、そうに違いねえ。うぬが隠し男を持っているので、なんとか、おれを甘口に乗せて誤魔化していやがるのだろう」

「ど、どうしてそんな、大それたことを私が……。あまりといえば、情けないお疑いでございます」

お吉は、鬢(びん)の毛をふるわせて、良人のことばを、恨めしく思った。

「じゃあ見せろ。――見せられめえが、それは、男からきた艶文(ふみ)にちげえねえ」

「とんでもない……そんな物ではございません」

「いうなっ、もう何も吐(ぬ)かすなっ。おれにはちゃんと解っている。てめえの相手は、仲間の和介だろう」

「えっ?」

「どうだ、おれの眼に、くるいはあるめえ。弟弟子の和介の野郎と、てめえは、艶文を交わしているのだろうが」

「なんで私が……ええあんまりな」

「しぶとい阿女(あま)めが」

平次郎は、猜疑の鬼になっていた。

妻のやさしい情けも、苦役して稼ぐ小費(こづかい)も、みなその和介にむすびつけて日ごろから邪推していたものである。

「よくも……男のつらに泥を塗りゃあがったなっ。……ウウム、見ていやがれっ、うぬも、和介の野郎も」

どん――とお吉を一つ蹴放しておいて、平次郎は、奥へ駈けこんで行った。

そして片肌を脱いで、逞しく盛り上がっている筋肉を見せ、再び躍り出してくると、

「この不貞腐れめっ」

振り上げたのは、彼の仕事道具である磨(と)ぎ澄ました大手斧(おおちょうな)だった。

「――キャッ」

お吉は、自分の身をどううごかしたか知らなかった。

機の陰へ、俯ッ伏したのであった。

平次郎が振り下ろした手斧の刃は、その機に懸けてある千(ち)すじの糸をばらばらに切ったので、糸は蜘蛛の巣のように、彼の体にもお吉の髪の毛にも乱れかかった。

「――待って」

と、お吉は絶叫したが、

「くそっ」

平次郎の眼はまったく夜叉仮面(やしゃめん)のように吊り上って、酒と、邪推と、白刃の三つに毒を仰飲(あお)ったように狂っているのであった。

「い、いいますッ――いいますから――、まって、待って」

「ええ、今さら、聞く耳はねえ、思い知れ」

手斧の光は、せまい土間の中を大きく二振り三振り、風を斬った。

 お吉は、壁にぶつかった、機にぶつかった。

また、雨戸にぶつかって、転げた。

 外へ、どんと仆(たお)れた雨戸は、彼女の体をまろばせて、次に、平次郎の荒い足にベリベリッと踏み破られた。

「――あれッ、どなたか、どなかた、来てくださいっ」

闇へ向ってさけびながら、お吉は、家の外へ走っていた。

何もかも夢中であった。