「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのいやだ!」
これは、「アンパンマンのマーチ」の歌詞の出だしの部分です。
作詞は有名な、やなせたかしさんです。
子どもさんが楽しそうに無邪気に歌っていますが、その歌詞には、やなせさんの心の叫びを感じ取ることができます。
「あなたは一体何のために生まれてきたのですか」「何をして生きていこうとしているのですか」・・・人生の目的、意味とは? このような問いかけに応えられない人生なんて、なんと危うく、空しいのでしょうか。
そのことを、やなせさんは自らに問いかけているようです。
そして、私にも・・
私たちは何気ない「問いかけ」を受けることで、大切な事柄に目覚めていくきっかけになることがあります。
それも素朴な「問いかけ」として、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」と。
しかし実際に、この「問いかけ」に応えることは簡単なことではありませんが、最も根本的な課題として受けとめていきたいものです。
ある時、次のようなご法話を聞きました。
それは、大好きなおじいちゃん亡くなられた時、お孫さんが「どうしておじいちゃんは、亡くなったの」と尋ねた時のことです。
よく聞かれる返答としては「それはね、ご病気だったから仕方がなかったのよ」と。
それは確かに医学的にも、世間的にも間違いではありません。
しかし、あえて、お釈迦さまにお尋ねしますと、おそらく
「それはね、生まれてきたからですよ。お母さんのお腹の中に命を宿した時から、老・病・死を内包してこの世に生まれています。最も避けておきたい、老・病・死を生きなければならないのが、人生なのです。」
とお応えになられるのではとのことでした。
確かに、私たちの意識としては、年・病・死は、最も望まないことであり、何か不幸になることと受け止めるところがあります。
ある方は「私たちは不幸の完成をめざして生きているのですか」とも問いかけています。
これほど「空しい」ことはないでしょう。
よく、「人生は空しい」という人がいますが、それは、人生が空しいのではなく、その人が空しい人生しか持っていないだけなのではないでしょうか。
年を重ねる中で、そして、病などさまざまな出来事を縁として、人生の真実に遇わせていただく。
死もまた空しい亡びではなく、限りない、いのちの世界に生まれさせていただく機縁であると、人生のあらゆることに尊い意味を見出だしていく。
それが仏さまの智慧の働きなのです。
また、あるご法話の中でのことです。
お爺ちゃんがお孫さんに「○○ちゃんは大きくなったら何になりたいの」と問いかけます。
するとお孫さんが「お爺ちゃんは大きくなったら何になりたいの」と。
「お爺ちゃんはもう年を取ったから、もう死んでいくしかないんだよ。」
こんな返答を聞いたお孫さんは、おそらく、がっかりするのではないでしょうか。
皆さんはなんと返事をしますか?
「お爺ちゃんは、大きくなったら仏さまになるんだよ。金ぴかの仏さまになって、いつも○○ちゃんを見護っているからね」
と応えると、お孫さんは「お爺ちゃん、すごいね」と喜ばれるでしょう。
そんな、いのちに目覚めさせていただきましょう。
以上です。
「私は何のために生まれてきたのか」。
それは
「み教えに遇わせていただくためだ。仏法を聞いて、阿弥陀さまのご本願に遇わせていただくため。」
こう言い切れる世界があるのです。