さつまの真宗禁教史7月(後期)

出水郷における一向宗徒の摘発 ―その7―

前回に続き「出水に於ける一向宗禁制史料」(『日本庶民生活史料集成』第十八巻所収)を意訳して一向宗徒探索の様子を見ていきます。

● 翌二十六日夕方、丸島を出て夜中国境近い茂道山(肥後国内)を通り、大変難儀して本道へ出て二手に別れて、草に臥して夜明を待ちましたところ、大勢の往来の者を見届けました。

人数は左記の通りです。

一番は男子一人。

見知らぬ者です。

二番目男子一人。

この二人は肥後へ行くものです。

三番目は男子二人で肥後国より帰るものです。

この者共は松明(たいまつ)をともしていませんのではっきり見極めることはできませんでした。

四番目には遠竹平八と弟の遠竹八左衛門です。

外に三人づれの者がいましたが見知らぬ者です。

この一団は松明をともしていましたので、確かに見届けました。

五番目は男女つれで半時ずつ時間をおいて通りました。

四人づれで見知らぬ者でした。

以上が二十七日の夜往来した者です。

(以下、同様を体裁で、十一月二十七日・二十八日・二十三日・二十一日・二十四日・二十二日に往来した人物の詳細が報告されている)

また次のような記録もあります。

一、 一向宗は大禁でありますが、去る申年(元文五年=1740)夏、宗門御改衆が当地に出張され詮議されましたところ多人数の一向宗徒が露顕しました。

先の御地頭兵部殿がこれを聞かれ、出水は国境地であり重要を所であるが、特にご憐懲をもって一向宗徒の残党が自首したならばば科銀等も赦免する。

万一潜伏したならばその身は勿論のこと事ながら親類までも一層重科に処すべき旨を布達され、その旨を当地の者に申し聞かせたところ、一向宗徒1700人が自首しました。

(次回に続きます)