さつまの真宗禁教史7月(中期)

出水郷における一向宗徒の摘発―その6―

前回にひき続き「出水に於ける一向宗禁制史料」(『日本庶民生活史料集成』第十八巻所収)を意訳して<一向宗徒探索の様子を見ていきます。 ● 先月一向宗徒は、二十二日より二十八日に至る七日の間(報恩講)、他宗の盆や彼岸と同様に精進を厳格に行うことを知り、この間に見届けようと相談し、五人の隠横目にその旨を申し含め、肥後に出張せしめましたところ、次のようを報告がきました。 隠横目 衆中三人 税所市郎左衛門 石塚弥七兵衛 吉留政右衛門 一、右の三人で先月二十三日より水俣の内丸島に宿泊しました。 一、翌二十四日、水俣浜の町の一向宗の寺(源光寺)の近辺を探索しましたが、薩摩の一向宗徒は気づきませんでした。 その夜も同所に宿泊し、宿の主人に酒を飲ませて、我々も寺参りと嘘をいい、一向宗徒の動静を聞きだし、明晩は一向宗の寺に潜入しなければ実態を見届けることはできないものと相談し、三人は一向宗徒になりすましました。 一、 翌二十五日、夜、三人は手分けして、陣町(西念寺)と浜の町(源光寺)の両寺に潜入したところ、八代の一向宗の僧侶の説法があり、大勢の参詣人がいました。 しかし薩摩の一向宗徒は用心深く発見できず、仕方なく寺を出て再び丸島に宿泊しました。 そしていままでの方法では一向宗徒の探索は不可能ですので、通行路を見張るより方法はないと相談しました。 (次回に続きます)