さつまの真宗禁教史2月(前期)

四十回

鹿児島門徒の信仰(その2)

―カヤカベ教―

次に鹿児島門徒の信仰のひとつの事例として「カヤカベ教」を紹介しましょう。

カヤカベ教は、霧島山麓に現存する特異な念仏者集団です。

江戸時代後期か明治初期に本願寺との連絡を絶ち、自分たちだけで新しい念仏の結社を形成したものです。

それは、霧島山麓の栗野、牧園、横川といった村に散在しています。

昭和三十九年の調査では、三四〇戸くらいが、カヤカベに所属していました。

それから三十年後の平成七年の調査でも三〇三戸で、過疎地帯としては信者の戸数はあまり減っていなようす。

詳しくは説明できませんが、極めて団結力の強い秘密結社であること。

そして、本来は本願寺と連絡をとっていたお念仏者の講でしたが、それが独立して特異な講に変容したものです。

そして歴代善知識、教団組織、年間行事、通過儀礼、種々のタブーなどが、厳然として確立しており、一つの教団としての体裁を整えています。

いまここでは、彼らの信仰だけを見てみますと、極めてお浄土が身近な存在でした。

それは例えば、信者たちが亡くなった時は、何時間でお浄土へ到達したかといったような時間まではっきり明示されている史料も残されています。

一例を掲げげますと

御上人 釈本如様 御往生御年八拾七歳 文政七年きのへ申閏八月二十二日午上刻往生志 給ひ一時ノ内ニ浄土へ決定世しめたまふ

という文章で、本願寺十九代本如上人は、一トキ、すなわち三十分で浄土に到着したと言うのです。

さすがに本願寺の門主だけあって超特急でお浄土に到着しています。

この門主が最速の記録です。