2019年5月法話 『話したい人がいるという幸せ』(前期)

今日から元号が新しく令和(れいわ)となり、お正月の時に新しい一年をむかえるような気持ちで、新しい時代の到来を味わっていらっしゃるのではないかと思います。

喜び多き時代になればと願っております。

さて、皆さんは嬉しいことや楽しいことがあると、誰かにそのことをお話して喜びや幸せな気持ちを分かち合いたいと考えませんか。

嬉しいことや楽しいことがあったときに、お話ができる方がいるにも拘わらず、自分の胸の内にだけとどめていく方はいらっしゃいませんね。

逆に、辛いことや悲しいことがあったときに、そのことを一緒に受けとめて、共に乗り越えてくださる方がいたらそれはとても心強く、安らぎを感じることができますね。

もし、だれにもそのことを話すことができずに、自分だけで悲しみや辛さを抱えていかなくてはならなかったとしたら、これはとても心細くさみしいことですね。

法語にもあるように、『話したい人がいるという幸せ』を理解することができるのではないでしょうか。

話したい人がいること、話をできるひとがいる、ということは私自身が決してひとりぼっちではないということです。

喜びをわかちあったり、悲しみをともに乗り越えてくださる方がいたりするからこそ、私たちの人生・命は、迷うことはあっても一歩一歩を大切に歩んでいくことができるのではないかと思います。

そんな私たちは、みんなひとりぼっちではないのです。

なぜなら、私たちはお念仏の教えをいただいているからです。

手を合わせお念仏(南無阿弥陀仏)申すと、私の命がいまここにあることを気づかせていただけます。

そして、その命にしっかりと目を向けていくと、決して一人では生きることができないたくさんの支えの中でやっと今日の日をむかえることができる命であることに気づかされます。

その命がいつも心豊かなものであるように、わたしが必ず救いとるぞという願いの中にある命であることをお念仏もうすことで味わうことができます。

ひとりであるように考えてしまう時もあったりしますが、私たちはそんなふうにいつも支えてくださる、おもってくださる願いの中にこの命があるのです。

そう考えると、今日という日があることが、なんと尊いことか、と喜びのなかに今日をすごしていくことができるのではないでしょうか。

話したい人がいること、それはどんな方にもいらっしゃるということを喜びながら幸せを感じながら毎日を大切に、令和の時代を尊くおすごしいただけたらと思うところです。