当たり前の大切さ

先日、家族が立て続けに病気になりました。それは私がめずらしく夜にある勉強会に出かけて帰ってきた時から始まります。もう子どもたちは寝ただろうかと寝室に行くと、寝ているのは夫だけ。

「お父さんが今日は疲れたんだって」と子どもたちが言うのです。

おかしいなと思い夫の額に手を当てると、「熱い!」

慌てて体温計をもってきて測ると38度もありました。

すぐに薬を飲ませ、冷えピタを貼って、夜中も何度か様子を見て、あまり眠れないまま朝を迎えました。

朝食に起きてきた夫は「熱は下がったみたいだから仕事に行けそう」というので、ほっとしていたら今度は息子が元気がありません。熱を測るとこれまた38度あります。

その日はちょうど運動会の予行練習の日で、「学校に行く」と言い張る息子を何とか説得し、病院へ行くと「カゼですね」とのこと。息子は一日休むと元気になり、次の日から学校へ行きました。

それとは入れ違いに、夫がまた具合が悪くなり、今度はなんと「インフルエンザ」と診断されてしまいましたから大変!

隔離して、マスクをはめて看病生活が始まりました。

困ったのは子どもたちがお父さんに近づこうとすること。しばらくの間だからと子どもたちを説得し、2日たつと夫も普通に食べられるようになり、ほっとしたのもつかの間、運動会から帰ってきた娘が発熱。今度は40度ありました。すぐに病院へ連れて行くとこれまた「インフルエンザ」と診断され、夫とともに隔離生活。

わが家は3世代6人が暮らしています。しかも、父と母は一応高齢者ですので、「インフルエンザ」がうつらないよう、みんなしばらくは緊張の日々でした。

やっと娘が回復し、どうにかその後感染者は出ていないので、何とか今回の危機は脱出した模様です。

私たちはふだん元気でいるのが当たり前、しかも家族そろって元気でいることが普通だと錯覚しているということを身をもって感じた出来事でした。

何事もなく、元気でみんなそろって食卓を囲むことのできる日のありがたさ!

何気ない日常がどんなに大切か、人は失って初めて気づくものなのですね。

『赤毛のアン』の一節に

「けっきょく、いちばん幸福な日というのは、すばらしいことや、おどろくようなこと、胸のわきたつようなできごとがおこる日ではなくて、真珠がひとつずつ、そっと糸からすべり落ちるように、ありふれた、小さな喜びを、つぎつぎに持ってくる一日一日のことだと思うわ」

とあります。ケンカして騒ぐ子どもたちを見ながら、「なんてありがたい」としみじみとつぶやいた私でした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。