「アフターコロナの時代」の生き方

新型コロナウイルスへの感染が、依然として全国各地の様々な場所で起こっています。その影響で、これまで当たり前のようにできていたことが突然できなくなったことに、戸惑いや憤りを感じたり、ストレスをためながらの生活を余儀なくされている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。一時でもはやく、新型コロナウイルスの感染終息がおとずれることを願わずにはおれません。

そんな私たちの生活の中で、習慣として一番変化したのは『マスクの着用』ではないかと思います。マスクといえば、これまでは冬から春にかけての感染症や花粉症などの流行期に着用する姿が多くみられましたが、今年は夏になった現在でも多くの方が着用しているのをよく目にします。また、3月以降マスクを着用する方が劇的に増えたことによって急激なマスク不足が生じたため、洗って何度でも仕える布などで自作された物を着用している方も多くみられます。これまでは、比較的使い捨てで無地の物が多く、マスク姿といえば画一的な着用風景だったのですが、感染症の拡大にともない一転して個性的で多彩な色の着用風景に様変わりしたような印象を強く受けます。

マスクの着用は、感染症の拡大防止に一定の効果があるといわれる一方で、これから気温の上がる夏季に長時間着用すると、暑さから脱水などの熱中症状態になる可能性があり、マスクの着用が体調を崩すことに繋がることが心配されているようです。本来は、健康管理のために使用するマスクが、それによって体調を崩す懸念があるというのは、なかなか厄介で面倒なことだといえます。だからこそ、上手に使用することを、常に心掛けていかなくてはならないと思います。

便利なものでも、使い方を誤ると危険なものに変わってしまうことがあるという怖さ。だからこそ、使用する私たちが「しっかりと考えて、うまく使いこなせるよう努めていかなくてはならないなぁ」と考えています。

「これからは、アフターコロナの時代になる」と言う言葉をよく耳にします。これは、今まで当たり前と思っていたことが当たり前ではなくなり、その変化に自身を上手に適応させなくてはならなくなるということです。例えば、新しい生活様式として、「人との間隔をできるだけ空けたり、会話をする際は可能な限り正面を避けたり、外出時に屋内や会話の時はマスクを着用したりする」といったことなどが示されていますが、これはコロナの感染拡大以前にはあまり言われなかった事柄です。けれども、これからはこういった事柄を生活様式の基本とすることが求められるようになっていくのです。

また、これまで私たちは、いつか死ななくてはならないということは漠然と知ってはいても、そのことについて深く考えるということはなく、どちらかというと目を背けたり先送りしたりしながら生きてきたように思われます。けれども、今回の新型コロナウイルス感染症の拡大で、多くの人が感染の恐怖と共に自らの「死」を意識させられたり、あるいは生きることの意味について考えることを余儀なくさせられたりしたように感じられます。

私たちは、いつ終わるか分からない命を、そして誰にも代わってもらえない一度切りの今日を、今こうして生きています。その事実をしっかり自覚すると共に、今日という一日があるのは決し当たり前のことではないということを、常に思い返ししながら生きていきたいと思うことです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。