「ネット社会と罪」

秋になり、スーパーに美味しそうな柿が並ぶようになった。

今年の七月から九月にかけて開催された東京オリンピック。

開催前は、「こんなコロナの時期にオリンピック?」と距離を置いていたが、始まってしまえば、スポーツの魅力にどっぷり惹き込まれて、とても充実したステイホーム時間を過ごさせていただいた。

そのオリンピックの開催を直前にして、たくさんの大会関係者が、辞任解任されたことは驚きだった。

特に元お笑い芸人の方が、1990年代のコントでの差別発言が原因で役職を解任されたと報道を読んだ時には、そんな昔の発言で、辞めさせられるのか・・と、とても考えさせられた。

いつの時代も傷つけられた側の傷は一生消えるものではないから、傷つけた側は、一生その罪を抱え、向き合いながら生きてゆかないといけないことには変わりないのだけれども、ネットが普及するひと昔前ならば、20年の歳月は、社会からその事を忘れさせていただろう。

ネットが普及した今の社会は、過去のことをいつでも引っ張りだせる忘れることのない世界といえる。

ネット社会によって更生のチャンスを無くしたり、才能を無にしてしまったりするのはとても残念だと感じる。

干し柿は、甘柿よりも渋柿で作る方が断然美味しくなるのだという。

渋柿は渋すぎて生では食べることができないけれども、時間をかけて太陽の光に照らされてその味を深めてゆく。

背負ったその罪が、時間をかけてその人格を深めてゆくと信じたい。

このネット社会は、その人の今を見抜く力が必要なのではないかと感じる。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。