2022年1月法話『私を照らすみ仏の光あり』(前期)

新しい年を迎えました。気持ちも新たにまっさらな一日いちにちを大切に過ごさせていただければと思うことです。この数年新型コロナウイルス感染症の影響でお寺の法要・行事や学校・地域の行事等なかなか思い通りに行うことが難しくなっています。しかしながら、工夫しながらなんとか出来ることをしていければと思うことです。

昨年は鹿児島県本土には珍しく台風の上陸はありませんでした。今までとは違うコースを通過する台風が多かったように思うことです。やはり地球温暖化等々地球規模の気象の変化もだいぶ影響しているのではないかと感じることです。

台風が来ることがわかると、本堂の雨戸を閉めなければなりません。最近は開閉しやすいサッシの雨戸に変わりましたが、少し前までは木製の雨戸でした。木製の雨戸は、年数が経つと水分を含んで膨張し、開閉がしにくくなります。子どもの頃、台風が来る度にその開閉しにくい雨戸と悪戦苦闘しながら、本堂の戸締まりを手伝っていたことを思い出すのです。

台風が過ぎ去った朝、その雨戸を開けるために本堂に行くと、木製の雨戸の節穴より朝日が漏れていました。その細長い光の中に無数のホコリやチリが舞い上がっている光景を思い出すのです。光の漏れていない所は何も見えないのに、光が漏れているところには、こんなにもたくさんのホコリやチリが舞っていたのかと驚かされたものです。そして同時に無数のホコリやチリは温かい光に包まれているのです。ホコリやチリの多さに驚きながらも、節穴から漏れる光の美しさ・温かさを感じたものです。

仏さまの光に照らされるとお粗末な自分の姿がいよいよあきらかになるのです。その自分自身の姿を嘆くと同時に、その私を見捨てることなく仏さまのお慈悲が温かく包んで下さっていることを慶ばせていただくのです。この嘆きと慶びがお念仏申す生活の中でひとつになっていくのです。

常に見守っていてくださる仏さまのご恩に少しでも報いていくことができるように日々の日暮らしをさせていただければと思うことです。