では、この獲信者と念仏は、どのように関係するのでしょうか。
この衆生は
「念仏せよ、汝を救う」
という本願を信じるのですから、信を得た者の人生は、当然、ただ念仏のみの道を歩むことになるといえます。
したがって、信心往生派からの
「念仏往生と信ずる人は辺地に往生する」
という主張は、念仏往生の義に対する完全な誤解といわざるを得ず、同時にもし念仏往生派が、往生の正因はただ本願を信じるのみという
「唯信」
の往生を見落としているとすれば、この人もまた本願の義にまったく信順していないということになります。
親鸞聖人は、手紙で弟子たちに、この
「念仏往生」
と
「信心往生」
の義を明らかにされたのですが、これによって知られるように、親鸞聖人における念仏往生とは、弥陀釈迦二尊の救いの構造を、そして信心往生とはその教法を信じる獲信の構造を意味していたのだといえます。
これを法然聖人と親鸞聖人の関係において述べれば、法然聖人はただ念仏による往生の道を説法され、親鸞聖人はその教えを一心に聴聞して、その心にただ信心のみの往生の道を開かれたということになります。
では、親鸞聖人はその
「念仏」
のはたらきをどのように理解され、往生すべき
「浄土」
をどのような場と見られたのでしょうか。
親鸞聖人の往生思想の特徴は、
「他力廻向」
の義にあることは言うまでもありません。
自分自身の力による往生のための
「行」
は見られず、往生の証果の一切、行も信も証も、その全てが阿弥陀仏から廻向されるのだと説かます。
では、なぜそのような思想が親鸞聖人の中に生まれたのでしょうか。
すでに述べてきましたように、親鸞聖人に明らかになったこの仏法の原理は、法然聖人との出遇いによって親鸞聖人が獲得された真理です。
そこでいま一度、法然聖人の前に跪いておられる親鸞聖人の姿を問題にしてみます。
このときの親鸞聖人には、仏果を得るための行も信も証もまったく存在していません。
このような親鸞聖人に対して、法然聖人はひたすら
「南無阿弥陀仏」
についての説法をされます。
そしてこの説法によって、親鸞聖人は真実の信心を得られました。
親鸞聖人の思想においては、この時に得られた
「信心」
が往生の正因です。
では、親鸞聖人に
「信」
を得させた
「行」
は、いったい誰が行ったのでしょうか。
法然聖人の説法という行為によって、親鸞聖人は信を得ておられるのですから、その行は法然聖人によってなされているということが出来ます。
したがって、親鸞聖人にとって往生の因を得るための行は、親鸞聖人にあったのではなく、阿弥陀仏の選択本願念仏の真実を語られる法然聖人にあったのだと言えます。