もしかしたら、そういう対立の姿を放送することで、別の場所で対立を誘発しているのではないだろうかと思ったんです。
特に環境問題では、地球の温暖化のことや、水や土、空気の汚染のことのように、もっと早く気付かなければならないさまざまなことが、目に見えない形で進んでいくことがおおいです。
だから、もっと違う方法で、皆さん一人ひとりの心に直接響くような伝え方をしたいなと思うようになり、そのためにはどうしたらいいかと考えながら過ごしていました。
それがちょうど十年前のことです。
一九九七年にダイオキシンの問題が日本で大きく噴き出しました。
ダイオキシンは、人類の生み出した最悪の猛毒といわれています。
そのダイオキシンが、実は私たちの身近にあるような、ゴミ焼却施設から出ていたということを、このとき多くの人が知らされることになり、日本中で大問題になりました。
これに私たちが直面したとき、この問題は国や県、企業や行政が悪いというような報道の仕方ではなく、別の伝え方をしていこうということになったんです。
このダイオキシンという問題は、今までほとんどの人がよく知らなかった問題でした。
でも、ゴミを出さない人は一人もいない訳で、だからこそ本当に最初の一歩から考えていくのに、とてもいいテーマじゃないかと話し合いました。
そこでまず取りかかったことは、当時鹿児島県にあった九十六の自治体一つひとつに、この問題について電話で聞くことでした。
ダイオキシン問題が噴出してどう思っているのか、どうしようとしているのか、そして今まではどうしてきたのかということを、まず知ろうとしたんです。
ところが、この問題は全国で大問題になっていましたから、各自治体の担当の方はおびえておられたんですね。
そこにマスコミである私が電話をかければ、いったい何のあら探しかと思われてしまいます。
そうじゃないことをまずわかっていただかなくてはなりませんでした。
それで毎朝、わりと話をしやすい八時過ぎぐらいにかけたんです。
そうしてちょっとずつ電話をかけていって、九十六市町村の七十番目に、川辺町にかけました。
そのとき電話に出られたのが、当時の環境担当課長、亀甲俊博さんでした。
この方は、他の市町村の担当者の方とは全然違いました。
亀甲課長さんは環境の担当になられたばかりでした。
そんなときに大問題が起きたので、どうしたらいいんだろうと、本当に心配されていたんです。
とても素直な方でした。
私としても、あら探しなどするつもりなんてなかったので、「皆が一からきちんと考えられるような取材をしたいと思いまして、それぞれの町がどうされているのかをお聞きしたくて、お電話致しました」と、一生懸命にご説明しました。
そうしたら、こちがお聞きしていないようなことまで話してくださったんです。