======ご講師紹介======
中村章さん(本願寺派布教使・教誡使)
☆演題 「音楽を通して、今生きていることの喜びを」
昭和33年、長崎県に生まれる。
昭和57年に僧侶となり、平成5年に本願寺派布教使になる。
民生委員、児童委員、保護司、篤志面接委員、教誡使として社会問題にも積極的に取り組む。
平成19年に当時高校2年生の息子と親子で音楽ユニット
「南無」を結成。
いのちの尊さ、今生きていることの喜びを身近に感じて欲しいとの思いで、ギターの弾き語りを取り入れた布教活動を行う。
寺院だけでなく、老人施設や保育園、学校、地域の公民館など、さまざまな場所で依頼を受けています。
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「ああ弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)、多生にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信、億劫(おくこう)にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」
と。
さて、みなさんは今の世の中をどう思われますか。
現代は科学が発達は、便利な世の中になりました。
宇宙にも飛び出すし、物も捨てるほどにあふれています。
私の両親は大正生まれですが
「戦前戦中後の物がなかった時代は、食べ物があるだけで幸せだった。
そういう思い出懸命に生きていきたんだ」
という話をします。
では、今の日本に生きている人はみんな幸せを感じているかと言えば、首をかしげてしまう人が多いのが現実です。
すごく裕福な人がいてもそれはごく一部です。
苦しい暮らしをしている人もたくさんいて、みんなが幸せだとは思えていない。
その寂しい現実は決して他人事ではないんですね。
また、科学が発達した現代では
「宗教は必要ない」
「私は無宗教だ」
と言う人が大勢います。
しかし、その一方で先端科学の病院でさえ
「4」を
「死」と読み、
「9」を
「苦」
と読んで不吉だとして避けるところがあります。
他にも吉凶を気にするなど、科学が無宗教だと言いながら、いろんな迷信、俗信に振り回されてビクビクした生活を送ってはいないでしょうか。
常識というものにしてもそうです。
常識は、時代と社会によって変わっていくものであって、普遍的、永遠なものではありません。
もちろん、非常識になれということじゃありません。
しかし、そんな不安定なものを全てのよりどころにして、常識さえ守っていれば間違いないというのは、危ういということです。
そんなものに振り回されて右往左往する私に対して、いつでもどこでも喚んでくださっているのが仏さまです。
そのお慈悲に気付かされ、真実に向かって生きていく上で、私の生きる力になって下さるのが宗教であり、お念仏です。
それを2500年前のお釈迦さまは縁起という教えでお示しくださいました。
お釈迦さまの縁起の教えは、宇宙に存在する全てのものが繋がり合って生きているとお示しになっています。
人間界に限れば、いのちの歴史は数十年しかないのかもしれません。
しかし、宇宙の誕生から全てが始まり、今ここにいる私のいのちにつながっているんですよね。
地球上に限っても、最初の生物からいろんな生物に進化を遂げてきたのですから、この地球上にある全てのいのちが繋がり合っているのは間違いありません。
元のいのちをたどれば、ゴキブリとも親戚なんです。
しかし、ゴキブリを見ると親の仇のように追いかけ回して殺してしまう私がいる。
私は、そんな人間でしかないんです。
でも、どんなにいのちもつながりあっているということを教えられた人生と、人間さまが一番偉いんだというような思い上がった人生では、大きく意味が違ってくるんじゃないかと思います。
私は1人で生きている訳ではないし、生きている訳がありません。
人間だけで生きている訳でもないし、生きている訳がありません。
そういうつながりの中で生かさせていただくいのちに対して、人間中心、自己中心的な物事の考え方でいるから、現代の社会でいろんな問題が起きているのではないでしょうか。