この日本にも餓死する人はいます。
さらに目を広げていきますと、70億人いる世界人口のうち、9億人から10億人の人が慢性的な飢餓状態にあると言われます。
1日に17000人の人が餓死しているというデータもあります。
なんと5秒に1人です。
一部では、大金持ちの人がいる一方で、食べるのにも事欠く人がこんなにいる。
このような世界を私は餓鬼道のようだとつくづく思うことであります。
餓鬼道とは、仏教で迷いの世界の一つに数えられる、欲望の極まりない世界のことですが、その餓鬼の一種に、二の腕の長い餓鬼がいるといいます。
その餓鬼は、食べ物やら何やら自分が欲しい物をいっぱい集めてきますが、二の腕が長すぎて自分の口に食べ物を運ぶことができず、飢えに苦しむといいます。
そこでお釈迦さまは教えを説かれました。
「自分で食べることを考えるのではなく、相手に食べさせてごらん」
と。
どんなに二の腕が長くても、相手の口にはその食べ物を運んであげることはできます。
そうすると、相手も自分の方に食べ物を運んでくれるでしょう。
「自分が」
とばかりしていますと、自分自身を食べられない状態に追いやり、苦しみは増すばかりになってしまいます。
また、仏教では極端な苦行を強いることはありません。
だからといって、快楽に溺れる生活を認めている訳でもありません。
ちょうどいい生きる道
「中道」
が説かれているのです。
中途半端という意味じゃありません。
この中道の教えは、よく弦楽器に譬えられます。
ギターも三味線も、ピアノもそうです。
弦楽器というのは、弦を強く張りすぎたらダメなんです。
張りすぎるときしんだ音になってしまうんです。
逆に緩くてもいい音にはなりません。
演奏する人がよく楽器をいじっていますが、あれはバランスのいい調和のとれた音を出すために、ギターなどの糸巻をいじって、弦の張りを調整して、音を合わせているんです。
張りすぎても緩すぎてもいけない。
中道という教えは、そんな楽器に譬えられています。
欲をなくせと言われても、なくすることはできません。
しかし、ちょうどいいバランスを保つことで、弦楽器の音色のように周りの人の心を穏やかにすることはできます。
そして、その柔らかな生き方が、また次の人の生き方につながっていくことになるのだと思います。