お墓参りは、実物のお墓ではなく、インターネットのお墓でも良いのでしょうか?

近年、新しい形のお墓参りが徐々に広がりつつあるんだそうです。

それはお墓や遺影、法名や戒名、生前の写真が、パソコンや携帯電話の画面にあらわれる

「ネット墓地」

と呼ばれる物で、つまりは、インターネット上にお墓があり、お寺に足を運ばずにお参りすることができるというものなんだそうです。

高齢者や遠方に住んでいてお墓参りに行きにくい、子どもがいないため実際のお墓だと今後の管理が難しいという方が利用しているサービスなんだそうです。

ネット社会が生んだ奇抜な発想のユニークな試みといえるような気がしますが、利用者やご存じの方には様々な反応があるようです。

「実際のお墓にはなかなか行くことができないけれど、頻繁にお参りできるほうがいいかもしれない」

「場所を取らなくていい」

「お墓の維持費や建立費用がかからない」

といった声がきかれるようです。

反対意見としては、

「サーバーの不具合により、データがなくなったらどう責任をとるのか?バックアップの面はどうなのか?」

「やはりお墓は実際に行くべきもの」といった声や

「情緒に欠け、抵抗がある」

といった反応もみられるそうです。

遠方からだとお墓参り自体が難しく、高齢者にとってはそれがなおさらのこととは言えます。

また都市部には土地がなく新規にお墓をたてることが難しく、さらには少子化でお墓を管理していくことも困難な時代になっていると言えるようです。

様々な事情でお墓参りが困難な方にとって

「ネット墓地」

という選択肢がうまれたと言えるのではないでしょうか。

海外では、交通事情・墓不足の理由で日本よりも

「ネット墓地」

が広がっているんだそうです。

浄土真宗におけるお墓とは、ご先祖様や故人を偲び仏縁をいただく場所です。

ご先祖さまに感謝しつつ、いのちの行き先が浄土であることを再確認する場であり、先祖の霊を追善供養するものではありません。

お墓は故人の遺体、遺骨、その他の遺品(髪、爪など)を納める場所のようなものと考えるのがよい気がします。

お墓の意味としては故人をしのび、私たちの命のはかなさ(無常)を通して阿弥陀様の大きな慈悲に気づかさせていただく御縁の場所です。

お念仏の教えをいただいた方はすべてお浄土に生まれ阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただきます。

すなわちお墓は故人の遺徳をしのび、私たちにかけられた故人の願いに耳をかたむけていかなくては、なりません。

お墓やお仏壇や法事といったお参りするということは、そういう御縁に合わせていただくお勤めなのです。

私たち念仏者はなくなると同時に、浄土に生まれます。

そしてお浄土で阿弥陀さまと同じ悟りを開かせていただきます。

ゆえに私たちのほうから、仏さまに向かって成仏しただろうか?とか、どこに行ったのか?故人の魂はどうだろうとか、いろんなことを心配しますが、心配されているのは、私たちのほうであることに気づかされることが大事なことです。

インターネットのお墓や実際のお墓に限らず、お参りのご縁を通して、故人の遺徳をしのび、私たちに、かけられた故人の願い・阿弥陀様の私たちをあんじるお心を聞かせていただく、聴聞のご縁として仏縁いただいていくことが大切であると言えるでしょう。

お念仏の生活を心から、よろこび味わせていただきたいものですね。