1つ、この創作浄瑠璃には特別な作品があるんです。
それは、私の故郷広島の原爆に関する作品です。母親から「地元の敬老会で三味線を弾いてほしい」と頼まれ、広島に帰った時のことでした。
せっかくなので原爆資料館に行ってみたんです。
そこでさまざまな展示品を見ていたとき、ある花の白黒写真を見つけました。
それは被爆後の75年は草木も咲かないと言われた広島の焦土に、たった1カ月半で咲いたカンナの花でした。
広島の人たちはこの花を見て、希望の光が見えたのでしょう。
そのとき、この原爆の話も土地に伝わる話なんだから浄瑠璃にしてみようと思いました。
世界で唯一の原爆被爆国である日本の伝統文化・浄瑠璃で、これを世に知らせられたら素晴らしいことではないか。
被爆者の方々は思い出したくないだろうけれど、決して忘れてはいけないことだと思って作ろうと決めました。
先ず翌年の8月11日に会場をおさえ、それからも被爆者の方にお話を聞かせてもらおうとしました。
最初は父親に聞こうとしたんですが、河原で死体を山積みにして、それを燃やす係だった父親からは、
「もう大変で、川から引き上げるときに、足がズルッと抜け落ちて、思い出すのも嫌だからとても話せない」
と言われました。
やっぱり被爆者の人たちはもう思い出したくもないんだなと思い、困っていたところに、母の知り合いの被爆された方からお話を聞かせていただくことができました。
実はその方は私の乳母で、私にとっては40年ぶりの再会でした。
その方もすごく懐かしがってくれて、被爆当時のことを話してくださいました。
原爆が落ちた瞬間のこと、身体中にケロイドを負って、痛くって、でもお母さんを探すために一生懸命歩いていたことなど、そのときのことを淡々と話されました。
再会したお母さんがアロエを剥いで、それを背中とかケロイドに塗ってくれたということを話してくださった時は、ポロポロと涙を流されていました。
やっぱり、自分の痛みよりも母の愛って素晴らしいんだなと、目頭が熱くなりました。
そういうお話をお聞きして、例の写真に写っていた“カンナの花が見た被爆の広島”を作ろうと思いました。
それが『広島咲希望花カンナ』なんです。
いろんなことを思って私はこの活動をしていますが、本当に人生というのは、人との出会いのためにあるようなものだ感じます。
たくさんの人と出会っていろんなものを分かち合って、いろんな思い出を作る。
本当に人生って素晴らしいなと思います。
私の場合、この浄瑠璃と引き合わせて下さったのも、東方浄瑠璃世界の薬師如来のおかげだと思っています。