私がこういうことを始めたのには1つの原点があります。
考古学という学問はみなさんもご存じだと思います。
ところが私がしているのは
「今」というものの在り方、
「今あるものの生かし方」ということになりますので
「考現学」という言い方をさせていただいています。
この考現学を教える先生が、戦前の早稲田大学にいらっしゃいました。
今和次郎(こんわじろう)さんという方です。
この方がなぜ考現学を提唱されたかというと、1つは関東大震災が理由にあります。
大正14年にあった大震災で、東京は焼け野原になりました。
その焼け野原を見たときに、今和次郎さんはふとしたことに気付いたんですね。
それは、街の人びとが崩れたトタン、屋根瓦、壁、そういった物を使って、見よう見まねで家を造り始めたことでした。
それにすごく興味をひかれたんです。
この現象は何だろうかと、今和次郎さんはそり様子をスケッチしました。
そして、普段気付かなかったような、ある意味ではゴミだと思っていたものが、実は生活とか人間の根本にあたるんじゃないかということに気付かれたんです。
それで、この方は考現学を始められたんです。
また、デパートの前に座って、出入りする人たちをスケッチするなど観察したりもしました。
当時の人たちの服装や髪型、履いている靴などのデータを取って、
「今」という時代の流行調査みたいなことをしたんです。
「今」という時代どう見つめるのか、この考現学というのが
「世間遺産」の根本にあるのかなと思っています。
民俗学者の宮本常一さんは、その著書の中で
「人の見残したものを見るようにせよ。そこの中にいつも大事なものがあるはずだ」
という言葉を残されました。
この方は、全国いろんな所を行脚して、それぞれの地域にあるもの、または気付かれなかったものに注目し、本にまとめたりしました。
風景をただ風景として見るのではなく、1つの風景を作り出してきた人びとが自然とどのように関わり合ってきたのかを留めておこうとされたんです。
つまり、どういうことかというと、鹿児島には西郷隆盛、大久保利通などいろんな偉人、有名人がいらっしゃいますが、暮らしていたのは偉人ばかりではなく、庶民もたくさん生きていたということです。
そういう記録にも残らないような人たちの痕跡が、風景や地域の集落など、いろんな所に残っています。
それらを拾い集めることによって、政治の歴史と違った庶民の歴史、文化が見えてきます。
その民衆の歴史を明らかにしていくことこそ、大事なことなのではないでしょうか。
「人が見残したものを見る」
という言葉が、まさしく
「世間遺産」の原点になると私は思っています。