「おウい、一休みやろうじゃないか」
谷へ向って一人が呼ぶ。
「おウいっ」
そこから声が湧(わ)いた。
四、五人の若い僧だ。
雪が解けたので、この冬籠りのうちに焚(た)き尽くして乏しくなった薪(まき)を採りに出てきたのである。
雪に折れた枯れ枝や四(し)明(めい)颪(おろ)しに吹かれた松葉が沢にも崖にも埋(うず)まっていた。
その谷間はようやく浅い春が訪れてきて、谷川の裾(すそ)の方には鶯子(ささ)啼(な)きが聞え、樹々はほの紅(あか)い芽を点じてはいるが、ふり仰ぐと、鞍(くら)馬(ま)の奥の峰の肩にも、四明ヶ岳のふかい襞(ひだ)にも、まだ残雪が白かった。
「やあ、ここは暖かい」
南向きの谷崖へ、学僧たちは薪(まき)の束を担(にな)いあげて車座になった。
太陽の温(ぬく)みを持っている山芝が人々の腰を暖かに囲んだ。
「長い冬だったなあ」
「やっと、俺たちに春が来た」
「春は来たが……。山は依然として山だ、谷は依然として谷だ。明けても暮れても霧が住(すま)居(い)じゃ」
「味気ないと思うのか」
「人間だからな」
「それに克(か)つのが修行だ」
「時々、自信が崩れかかるんだ。修行修行といっても、俺たちはどうしても抜け道を作らずにいられない。そっと山を下りて人間の空気を吸いに出ることだ。そんなことをしていたって、克つことにはならないじゃないか、ただ、矛(む)盾(じゅん)の中に生きているだけだ」
「そう、むきになって考えたら、僧院の中に住めるものか、よろしく中庸(ちゅうよう)を得てゆくことだ、たとえば、大乗院へ籠(こも)り込んだ範宴少僧都などをみるがよい」
「いろいろな噂があるが、あれは一体、どうしたことだ」
「おい」と、一人の背中をのぞいて、
「貴公は今朝、ここへ来る前に、横川の飯(いい)室谷(むろだに)へ、何か使いをたのまれて行ってきたのじゃないか」
「うむ、四王院の阿(あ)闍(じゃ)梨(り)から、書面をたのまれて置いてきた」
「範宴はいたか」
「わからん」
「誰がいるのか、今あの寺には」
「堂衆らしいのが庫裡にいた。がらんとして、空寺(あきでら)のように奥は冷たくて暗かった。たしか、去年の初夏のころから、東山聖光院の門跡(もんぜき)範宴が上(のぼ)ってきて、あれに閉じこもっているわけだが、彼の姿など見たこともない。坊官も弟子もいるのかいないのかわからん。おかしなことだ」
「それやいない理(わけ)だ」
と一人が唇でうすく笑って、
「範宴は、聖光院の方には勿論いないし、大乗院にも、いると見せても、実はそこにもいないのだから……眉唾(まゆつば)ものだよ」
何か火のような光が近くの灌木の中から谷間の空を斜めに切って行った。
人々の眼は、そこへ流れて行った雉子(きじ)の雌(めす)をじっと見ながらなにやら考えこんでいた。