やがて、一人が沈黙を破って、
「じゃあいったい少僧(しょうそう)都(ず)は、どこに体を置いているのか、怪しからぬ行状ではないか」
と口吻(こうふん)に学僧らしい興奮をもらしていった。
「さあ、それが分からぬて」するとまたほかの一名が、
「なあに、大乗院にいることはいるのさ。姿を見せないだけだ。なにかよほどな悶(もだ)えがあって閉じ籠ったまま密行(みつぎょう)しているという」
「やがて、僧正の位階にも上(のぼ)れる資格ができているのじゃないか、なにを不足に」
「いや、その栄位も捨てて、遷(せん)化(げ)する心だという者がある。四王院の阿闍(あじゃ)梨(り)や、青蓮院の僧正などは、それでひそかに、心配しているらしい」
「あの若さで遷化するなどと……。それは一体ほんとうか」
「青年時代には、お互いに、一度はわずらう病気だよ。あまりに学問へ深入りして、学問の病(やみ)に捕われると、結局、死が光明になってしまうのだ」
「範宴は、そんな厭世家だったかなあ」
「仁和寺の法(ほっ)橋(きょう)や、南都の覚蓮僧都(そうず)などへも、遺物(かたみ)を贈ったというくらいだから嘘ではあるまい」
「では密行に入ったまま、ずっと、絶食でもしているのか」
「噂を聞いて、幼少から彼を育てた慈円僧正が、たびたび使いをのぼせて思いとまるように苦言しているというが、どうしても、死ぬ決意らしい」
「そうか……」と、人々は太い息をもらし合って、
「それや、姿の見えない理(わけ)が解(と)けた。おたがいに学問もよいほどにしておくんだなあ」
と――薪(まき)を枕にして寝そべっていた一人の僧が、
「あははは」手を打って哄笑した。
「お人良し!お馬鹿さん!君たちはおめでたい人間たちだ。もっとも、これだから僧侶は飯が食えるのだがね」
「誰だ、そんな悪魔の口(くち)真似(まね)をする奴は」
振向いてみると、この山の学僧のあいだで提(だい)婆(ば)達(だっ)多(た)と綽(あだ)名(な)をして呼んでいる乱暴者であった。
「提婆、何を笑うんだ」
「これが笑わずにいられるか。範宴が遷化するって。……ははは、臍(へそ)がよれる。なるほど、密行はしているだろう、しかし、その密行がちがっているんだ」
「ひどく悪口をいうではないか」
人々は提婆に対してむしろ反感をもった。
そんな顔つきに関(かま)わず提婆は笑やまず厚い唇をひるがえしていった。
「でもあまりに諸賢が、愚かしき噂を信じているから、その幼稚なのに愍笑(びんしょう)をもらしたのだ」
「では、範宴は一体、なにを大願として、そんな必死の行(ぎょう)に籠っているのか」
「知れているじゃないか。恋だ!範宴だって人間だよ、隠し女があるのだ!」
「えッ、女があるって」
人々は大胆な放言に眼をみはった。