「いのちの記憶」(中旬)いのちについて意識したら、作る曲が変わった

『にじみ』という高畑監督の耳に届くきっかけとなったアルバムを2011年に発表したのですが、これはお寺で生活する中で、家族や地域の方々との触れ合いに影響を受けています。

18年前に僧侶の資格は取ったんですが、その当時は法座のときにおつとめやお飾りのお手伝いをすくくらいでした。

8年前に住職になる資格「教師」を取り、いつでも父と交代できるように準備はしたんですね。

それからお通夜やお葬儀、月参りなどにも積極的に行かせていただくようになり、法務などを通して、仏教徒としての自覚が芽生えた気がします。

最初は形から入ったので、経験を積む中で仏教の教えが自分自身の中にどれほど入っているだろうかと問いました。

ご門徒の方々と触れ合い、お育てをいただく中での曲作りは歌にも大きく影響しました。

以前は歌を歌っている自分と僧侶の自分が離れていたような気がしていました。

10年前にお寺に戻り、お寺の務めをさせていただきながら音楽活動を続けていく中で、そこをどうにか一緒にしていかないと、自分の中で納得できなくなってきたんですね。

そんな中であるとき自然と、仏法で聞かせていただいたフレーズが歌詞ににじみ出てきたんです。

例えば「とつとつアイラブユー」という歌で、歌詞にある「たとえあなたに騙されていたって構わない」というフレーズは、親鸞聖人が法然聖人についていこうとされた姿勢に影響されています。

私たちは阿弥陀さまがいらっしゃるということをついつい忘れて、背中を向けてしまうこともあるんですけども、いつでも見守っていてくださるということも歌っています。

先ほど、別院の隣にある中央公園で8月のように蝉が鳴いている声を聞きました。

蝉は1〜2週間くらいしか生きることができないと聞きました。

本当に限られた短いいのちなんですね。

そういったことも含めて、「蝉にたくして」という曲を作りました。

限られたいのちと考えると、私たちも同じです。

この世に生を受け、必ず終っていくいのちを生かさせていただいている。

普段どうしても忘れがちなんですけれども、折々に触れそのことを意識します。

実家に戻って作る曲が変ったというのも、一番はいのちについて意識するようになったことです。

お寺にいると、どうしても人のいのちの最後に立ち会うことが多くなるからです。

お通夜やお葬儀でおつとめをさせていただくことが「一体何の役に立つんだろう」と思うこともあります。

しかし、亡くなった方を偲んで集まり、お参りするその時間というのは、心の整理をつけるのにやはり必要な時間なんだと思うのです。

ですから、一生懸命おつとめをさせていただきます。