そのとき、おじいちゃんが戻って来てくれました。
うちのおじいちゃんは、祖父江省念という説教使でした。
そのとき私は、おじいちゃんをとっ捕まえるようにして「佳乃は佳子の代わりなの」と言ったんです。
おじいちゃんは、何か察したんでしょうね。
私の肩をポンポンとたたいて、「取り敢えず、お御堂に行って、お夕事のお勤めをしようか」と言いました。
それで、おじいちゃんと一緒にお夕事のお勤めをしました。
そのときは、腹が立って悲しくて悔しくて、普段なら自然と言えた「南無阿弥陀仏」が言えませんでした。
お勤めが終わると、おじいちゃんが内陣から降りてきて、私の肩をポンポンとたたいて「しんどいか」って聞きました。
私は涙をボロボロこぼしながら、「佳乃は誰か分からん」って泣いたんです。
そしたら、おじいちゃんが「その扉を開けてごらん」って言いました。
お御堂に入って来る向拝(ごはい)の扉のことです。
今でも、その景色を思い出すと、涙があふれることでございます。
うちのお寺には境内に2本の桜の木がありまして、その扉を開けると、桜が満開で花びらが舞っているのが目に映りました。
そこでおじいちゃんは、「あの桜、何ていう名前が知っているか。
ソメイヨシノというんだよ。
お前の名前は、あれからもらったんだよ」と言ったんです。
「桜というのは、それまで寒くて冷たくて、厳しい冬を越して来た人間が、その桜の花が1つ花をつけた、それに出会うと、ああ良かった、ああ嬉しいなと心がほぐれるんだよ。
そこに桜が1つ花をつけただけで、それまでの景色がガラッと変わるんだよ。
おじいちゃんとおばあちゃんはな、佳子を亡くして泣いてばかりおったんだよ。
でも、お前が生まれてきてくれたとき、やっと心がほぐれたんだ。
お前は、あの桜からお名前を頂いた佳乃だよ」と言ってくれたんです。
涙がポロポロこぼれました。
そうしたら、おじいちゃんが私の手を引いて、お内陣の余間に座らせてくれました。
そこは、阿弥陀さまのちょうど真横にあたる所でした。
「阿弥陀さまのお姿を真横からよくご覧なさい」と言われました。
実は、阿弥陀さまは少し前のめりになって足が浮いていらっしゃるんです。
私は思わず「阿弥陀さまが動こうとしている」と言いました。
「そうだよ。
だから、阿弥陀如来というんだよ。
如来というのは、来るが如くと書く。
お前の所にいつも来てくださる仏さまだから、阿弥陀如来というんだよ。
そして、いつも行こう、行こうとしておってくださるから、前のめりになって、足が浮いているんだよ。
そして、その後ろにある放射線上にたまっておる光をよくよく見てごらん。
この一本一本真っ直ぐに垂直に伸びておったんでは、阿弥陀さまのお光はお前の所へは届かん。
少し角度がついておる。
阿弥陀さまがそのお光で、朝から晩までいっつもお前を包んでおってくださるんだ。
そして、阿弥陀さまのお顔をよくご覧なさい。
目が細まっておられる。
お前のことを、ああ可愛いな。
愛しくてたまらんと思っておってくださるから、あれほどまでに目が細まっておられる。
お前は、阿弥陀さまの大事な大事な佳乃だよ」って、言ってくれました。